-
興亡 は天の命 にして - 勝敗は時の運なるを
-
諛 ねる史家 に誤 られ -
名は
千載 に埋 もれて -
屍 は万 古 に朽 ち果つる -
不 遇 の偉 人 ぞ悼 ましき -
扨 も太閤御 臨 終 の其 の際 に -
御枕辺 に召寄せ給ひ -
秀頼
未 だ稚 なければ -
偏 に後見 頼み入ると -
後 事 を堅く遺言 し -
阿弥陀 が峰に安らけく -
眠り給ひし其の
後 は -
託 孤 寄 命 の大任 を -
帯 べる身ながら家康は -
次第に
羽 翼 を養ひつ -
終 には豊 家 を覆 へし -
取って代らん
下心 - かくすとすればほの見へて
-
南山 不落と謡 はれし -
大阪城の
基礎 も -
揺 ぎ初 めしぞ大 事 なる -
茲 に江州 佐 和 山 の城主 -
石田
治部 ノ少輔 三成 は -
疾 く家康の胸中 を見抜き -
千々 に心を砕きしが -
窈 かに上杉景勝 と牒 し合せ -
老獪 の家康を挟 み撃 ち -
君 家 を泰 山 の安きに置かんと -
檄 を四 方に飛ばすれば -
毛利
中納言 輝元 -
小 早 川 中納言金 吾 秀秋 -
大谷
刑部 少輔 吉 隆 を始めとし -
西国 方 の諸大名 -
概 ね之 に加 担 して -
軍勢 凡 そ十万余騎 -
義旗 を中原 に翻 へす -
折しも家康は
東国 にて - 上杉勢に向はんと
-
小 山 に在陣 なしたりしが -
斯 くと聞くより大に驚き -
扨 は三成豊 家 の為に義を唱 へ -
我を討たんと
旗挙 しか -
流石 は見上げし敵なるぞ -
さはさり
乍 ら此儘 に -
汝を
討 たで置かんには -
宿志 を遂 げんこと難 し -
いざとばかりに
師 をかへし - 八万余騎を引率して
-
東海道を
馳 せ上 る -
両軍ハッタと
出合 ひしは -
近江 と美濃 の国境 -
不破 の関 屋 の名に負 へど - 両雄いづれか破れでは
-
叶 はぬ羽目 の関ヶ原 - 時しも慶長五年九月十五日
-
残 んの霧 をつんざきて -
一道 の銃声 轟 けば -
忽 ち茲 に修 羅 場 裏 -
人 馬 の雄 叫 び太刀 の音 -
実 に凄 まじき有様なり -
西軍 の謀主 三成は -
其の本陣を
笹 尾 に構へ -
茶 縮緬 の頭 巾 を被 り -
紺 糸 縅 の小 具 足 に -
一枚
羅 紗 の陣 羽 織 -
緞 子 の脚 絆 布 草鞋 -
赤銅作 りの太刀を佩 き -
太閤 遺 愛 の団扇 を手にし -
天地に轟く矢玉の
中 に -
神色 自若 と床几 に倚 り -
刻々 迫る戦 の呼 吸
-
阿 呍 に合せて睨 みしが -
潮合 こゝぞと見てとるや -
天満 丸山二 山 の頂 に -
天を
焦 さん合 図 の烽火 - さっとばかりに打上げて
-
松尾山 なる秀秋に -
疾 く東軍の中堅を -
突き崩せよと
促 しけり -
然 るに彼方 の山の上 は -
白雲 まようばかりにて - 静まりかへって見えければ
-
三成胸を
痛 めしが - 東軍の主将家康は
-
予 て金吾秀秋を -
利をもて
誘 ひおきたれば -
頻 りに鞍坪 打叩 き -
誘 ひの鉄砲三百挺 -
火 蓋 を切って打放ち -
向背 如何 にと攻め付けたり - 百雷一時に轟けば
-
松尾山 の絶 頂 に -
金色 燦爛 たる馬印 -
動くと見るや
驀然 に -
西軍 の参謀 たる - 大谷刑部が旗本目がけ
-
雪崩 を打って突きかゝる - すわや金吾が裏切なりと
-
刑部 は怒 髪 逆立てゝ -
おのれ
日本 一の卑怯者 -
やわか
其儘 置くべきぞと -
罵 りながら迎へ撃つ -
家康扨はと
北 叟 笑 み -
戦 は最 早 勝利なり -
此の
機 を外 さず切崩 せと -
厳 しく下知 を伝ふれば -
東軍勇みて
鬨 を揚げ -
怒 涛 の如く押寄する -
三成この
様 を打眺め - 悲憤の涙を呑みながら
- あゝ金吾に事を破られぬ
-
豊 家 の御運も末なるかと -
天を
仰 ひで浩歎 し -
老臣
蒲 生 備中 島左近を招き - 既に大事は去りつるぞ
-
是や
主従 一期 の訣別 -
いざ
水盃 をと傍 の -
小 川 の清 水 手に掬 び -
疾 くまいれよと差出 す -
水はもとより
漏 れつれど -
残る
雫 に湛 へたる -
千万 無量の情けをば -
涙と共に押し
戴 き -
さらば御免と
両人 は -
再び駒に打
跨 り -
崩れ立ったる味方を
励 まし -
目指すは
内 府 が首 ぞと -
阿 修 羅 の如く猛 り立ち -
力を限りに
戦 ひしも -
西軍
遂 に敗北 し -
五 三 の桐に秋 風の -
吹き
初 めしこそ是非 なけれ -
実 に一将の功 成りて -
万 骨 朽 ちし関ヶ原 -
一 世 の英雄三成が -
君 家 の為に身を捨てゝ -
武士の
鑑 を残したる -
孤忠
苦 節 の跡訪 へば -
伊 吹 颪 の蕭々 と - 松に答ふるばかりにて
-
恨 や永く残るらん - 恨や永く残るらん
-
1.-6.
栄えることも滅ぶのも
天の定めた運命だ
勝つも負けるも時の運
だが世にへつらう歴史家に
誤り伝えられたため
その身が滅ぶだけでなく
名声までも埋もれてしまう
悲運の偉人はいたましい -
7.-13.
太閤豊臣秀吉が
いまわの際の枕元
「秀頼はまだ幼い
しっかり支えてやってくれ」と
後の事を言い残し
阿弥陀が峰に葬られ
永い眠りについたのち -
14.-22.
残した子供を託される
つとめを帯びた家康は
徐々に家来を増やしつつ
豊臣家をいつかは倒し
かわりに天下を取る腹を
隠そうとしても隠せない
難攻不落とうたわれた
大阪城の盤石も
揺らぎ始めたのであった -
23.-30.
近江の国の佐和山城主
石田治部少輔三成は
はやく家康の心を見抜き
あれこれ心を砕いていたが
会津の上杉景勝と
ひそかに心を通わせて
あの家康の古狸
西と東で挟み撃ち
お家の安泰をはかろうと
仲間を集めてみたところ -
31.-37.
毛利輝元 小早川
大谷刑部を初めとして
西国筋の諸大名
ほとんど味方についたので
その軍勢は十万騎
正義の旗をひるがえす -
38.-44.
ちょうどその時家康は
上杉討ちに行く途中
小山に在陣していたが
知らせを聞いて驚いた
「さては三成豊臣家のため
この家康を討つというのか
敵ながらもあっぱれなやつ -
45.-50.
そうはいってもこのままに
お前を討たずにいたのでは
わが大望はとげられぬ
さあ」と軍勢ひるがえし
八万騎あまり引き連れて
東海道を西へ向かう -
51.-55.
両軍がぶつかったのは
近江と美濃の国境
破れぬと書く不破の地ながら
両者のどちらか一方は
必ずやぶれる関ヶ原 -
56.-61.
時に慶長五年九月十五日
たちこめる霧をつんざいて
一発の銃が鳴り響けば
そこはたちまち地獄の戦場
人が叫び馬がいななき
刀の音もすさまじい -
62.-73.
西軍たばねる三成は
笹尾山に本陣を敷き
茶縮緬の頭巾をかぶり
紺糸縅の小具足に
一枚羅紗の陣羽織
緞子の脚絆布草鞋
赤銅作りの太刀を帯び
秀吉様から譲られた
団扇をその手に持ちながら
矢も鉄砲も飛び交う中で
落ち着きはらって床几に腰掛け
勝負を決める頃合いが
来るのをじっと待っていた
-
74.-80.
今こそ好機と見て取って
天満山と丸山で
天にも届く狼煙の合図
さっとばかりに打ち上げて
松尾山の秀秋に
急ぎ東軍の中心を
突き崩せよと促した -
81.-84.
ところがそちらの山の上
動いているのは雲ばかり
軍勢静まりかえっていて
三成の胸に不安が宿る -
85.-91.
東軍大将家康は
かねて金吾秀秋を
味方に釣っておいたので
馬の鞍をしきりにたたき
催促の鉄砲数百挺
火蓋を切ってつるべ打ち
味方になるか歯向かうか
どうだとばかりに脅しつける -
92.-98.
銃声一時に鳴り響くと
松尾山の山頂の
小早川家の馬印
動くやいなや一直線
西軍の知恵袋
大谷刑部の本陣目指し
なだれを打って突撃する -
99.-103.
「ああ金吾めが裏切った」と
刑部は怒り心頭で
「日本一の卑怯者
どうして許しておけようか」と
ののしりながら迎え撃つ -
104.-109.
家康はほくそ笑み
「これで決まったもう勝った
この機を逃すな切り崩せ」と
きびしく命令したところ
東軍勇んでときを揚げ
怒涛のように押し寄せた -
110.-115.
この様子見て三成は
怒り悲しみ涙を流し
「金吾にやられてしまったぞ
これで豊臣家も終わる」と
天を仰いで嘆き悲しみ
蒲生備中 島左近
二人の家来を呼び寄せて -
116.-120.
「もはや勝ち目はなくなった
これがこの世の最後の別れ
さあ水さかずき」とそばにある
小川の水を手に汲んで
「早く飲め」と差し出した -
121.-126.
水は指から漏れるけれど
残った雫にあふれている
三成様のあつい心
涙ながらにぐっと飲み干し
「では」と言ってこの二人
再び馬に乗り直し -
127.-133.
崩れた味方を励まして
「目指すは家康の首一つ」と
阿修羅のような勢いで
力の限り戦ったが
西軍ついに敗北し
五三の桐に秋風が
吹いて来たのもやむを得ぬ -
134.-143.
まことに一将功成って
万骨散った関ヶ原
英雄石田三成が
豊臣家のため身を捨てて
忠義を尽くし節を守り
武士の鑑を世に残した
その場所を今たずねても
伊吹山から吹き下ろす
風がさびしく松の木を
ゆさぶる音がするばかり
永く恨みが残るだろう