BIWA LIBRARY

sekigahara

関ケ原

解説

天下を統一した豊臣秀吉は、慶長三(1598)年に没した。その遺児秀頼はまだ六歳と幼く、最大の実力者であった徳川家康(1543-1616)は次の天下人を目指した。慶長五年六月、家康は会津の上杉景勝を討伐する名目で、主に東国諸大名の軍勢を率いて出陣した。するとその間隙をつき、豊臣家の奉行であった石田三成(1560-1600)が西国諸大名を糾合し、家康打倒の兵を挙げた。下野小山でその報に接した家康は軍勢を反転させて西に向かい、同年九月十五日(西暦1600年10月21日)、両者は美濃関ヶ原で決戦に及んだ。西軍の小早川秀秋らが戦闘中に寝返ったことなどもあり、家康の率いる東軍がこの天下分け目の合戦を制した。敗れた三成は間もなく捕縛され、斬首された。
家康はやがて幕府を創始してその開祖となり、没後には神格化された。そのため江戸時代の文献では、家康に敵対した石田三成が悪人とされることが多い。宮川忍斎編『関原軍記大成』(正徳三1713年成)などがその例である。明治になって家康の神格化が終わると、以後はその反動もあり、三成を豊臣家に対する忠義の臣として賞讃する論調が増えた。本作もその流れに沿っていると言えよう。

参考文献

黒川真道編『関原軍記大成』(国史叢書) 国史研究会 1916
笠谷和比古『関ヶ原合戦』(講談社選書メチエ) 講談社 1994
藤井尚夫『フィールドワーク関ヶ原合戦』 朝日新聞社 2000
古典遺産の会編『戦国軍記事典 天下統一篇』 和泉書院 2011
白峰旬『関ヶ原合戦の真実』 宮帯出版社 2014
橋本章『戦国武将英雄譚の誕生』 岩田書院 2016
井上泰至・湯浅佳子編『関ヶ原合戦を読む』 勉誠出版 2019

あらすじ

太閤秀吉は臨終の際、徳川家康にまだ幼い秀頼の後見を頼んで息を引き取った。大任を帯びた家康だったが、実は豊臣家を滅ぼし、天下を取ろうという下心があった。それに気づいた忠臣石田三成は豊臣家の安泰を守るため、密かに上杉景勝とともに諸国の大名に檄を飛ばしたところ、毛利輝元、小早川秀秋、大谷刑部ら諸国大名が応じ、十万余の兵を挙げた。折しも上杉討伐のために東国にいてこれを知った家康は、三成の忠義を讃えつつも、おのが野望は譲れないと八万余騎の兵をひるがえし、東海道を西へと急いだ。両軍が出会ったのは関ヶ原。霧をついて決戦の火ぶたが切られ、すさまじい戦いが続いた。三成は笹尾山から戦況を見守っていたが、小早川出陣の好機をつかむや出撃合図の狼煙を挙げた。しかし軍陣は微動だにしない。小早川は家康の甘言になびいていたのであった。家康は小早川に決断を迫ると、小早川軍は西軍参謀大谷刑部の軍陣へと襲いかかった。小早川の寝返りを喜んだ家康は、これを機に西軍にむかって猛攻を開始した。それを見て三成は豊臣家の終わりを悟った。忠臣蒲生備中と島左近は三成と別れの水杯を交わしてのち、戦場に突き進んだが、力を限りの戦いも空しく、西軍は敗れ去ったのであった。

『関ヶ原合戦屏風』(狩野貞信 画)

  • 詞章
  • 現代語訳
  1. 興亡 こうぼう は天の めい にして
  2. 勝敗は時の運なるを
  3. おも ねる 史家 しか あやま られ
  4. 名は 千載 センザイ うづ もれて
  5. かばね ばん ち果つる
  6. ぐう じん いた ましき
  7. サテ も太閤 りん じう きわ
  8. 御枕辺 おんまくらべ に召寄せ給ひ
  9. 秀頼 いま おさ なければ
  10. ひとえ 後見 こうけん 頼み入ると
  11. こう を堅く 遺言 ゆいごん
  12. 阿弥陀 アミダ が峰に安らけく
  13. 眠り給ひし其の のち
  14. たっ めい 大任 たいにん
  15. べる身ながら家康は
  16. 次第に よく を養ひつ
  17. つい には ほう くつが へし
  18. 取って代らん 下心 したごゝろ
  19. かくすとすればほの見へて
  20. 南山 ナンザン 不落と ウタ はれし
  21. 大阪城の 基礎 いしづえ
  22. ゆる めしぞ ダイ なる
  23. ココ 江州 ごうしう やま の城主
  24. 石田 治部 ジブ 少輔 しょうゆう 三成 ミツナリ
  25. く家康の 胸中 きょうちう を見抜き
  26. 千々 ちゞ に心を砕きしが
  27. ひそ かに上杉 景勝 かげかつ しめ し合せ
  28. 老獪 ろうかい の家康を はさ
  29. くん たい ざん の安きに置かんと
  30. げき 方に飛ばすれば
  31. 毛利 中納言 チュウナゴン 輝元 てるもと
  32. バヤ カワ 中納言 キン 秀秋 ヒデアキ
  33. 大谷 刑部 ぎょうぶ 少輔 しょうゆう よし たか を始めとし
  34. 西国 さいごく ガタ の諸大名
  35. おゝむ コレ たん して
  36. 軍勢 ぐんぜい オヨ そ十万余騎
  37. 義旗 ぎき 中原 ちうげん ひるが へす
  38. 折しも家康は 東国 とうごく にて
  39. 上杉勢に向はんと
  40. やま 在陣 ざいじん なしたりしが
  41. くと聞くより大に驚き
  42. サテ は三成 ほう の為に義を とな
  43. 我を討たんと 旗挙 はたあげ しか
  44. 流石 さすが は見上げし敵なるぞ
  45. さはさり ナガ 此儘 コノママ
  46. 汝を たで置かんには
  47. 宿志 しゅくし げんこと かた
  48. いざとばかりに をかへし
  49. 八万余騎を引率して
  50. 東海道を のぼ
  51. 両軍ハッタと 出合 であ ひしは
  52. 近江 おゝみ 美濃 みの の国 ざかい
  53. 不破 ふわ セキ の名に へど
  54. 両雄いづれか破れでは
  55. カナ はぬ 羽目 はめ の関ヶ原
  56. 時しも慶長五年九月十五日
  57. ノコ んの きり をつんざきて
  58. 一道 いちどう 銃声 じうせい トドロ けば
  59. タチマ ココ しゅ じょう
  60. ジン たけ 太刀 タチ の音
  61. スサ まじき有様なり
  62. 西軍 せいぐん 謀主 ぼうしゅ 三成は
  63. 其の本陣を さゝ に構へ
  64. ちゃ 縮緬 じりめん きん かむ
  65. こん いと おどし そく
  66. 一枚 しゃ ジン オリ
  67. どん きゃ はん ぬの 草鞋 わらじ
  68. 赤銅作 しゃくどうづく りの太刀を
  69. 太閤 たいこう あい 団扇 うちわ を手にし
  70. 天地に轟く矢玉の なか
  71. 神色 しんしょく 自若 じじゃく 床几 しょうぎ
  72. 刻々 こくこく 迫る いくさ きう
  1. うん に合せて にら みしが
  2. 潮合 しおあい こゝぞと見てとるや
  3. 天満 てんまん 丸山 ざん いたゞき
  4. 天を こが さん あい 烽火 のろし
  5. さっとばかりに打上げて
  6. 松尾山 まつのうざん なる秀秋に
  7. く東軍の中堅を
  8. 突き崩せよと うなが しけり
  9. シカ るに 彼方 かなた の山の
  10. 白雲 しらくも まようばかりにて
  11. 静まりかへって見えければ
  12. 三成胸を いた めしが
  13. 東軍の主将家康は
  14. かね て金吾秀秋を
  15. 利をもて さそ ひおきたれば
  16. しき りに 鞍坪 くらつぼ 打叩 ウチタタ
  17. さそ ひの鉄砲三百 ちょう
  18. ぶた を切って打放ち
  19. 向背 こうはい 如何 イカ にと攻め付けたり
  20. 百雷一時に轟けば
  21. 松尾山 まつのをざん ぜっ ちょう
  22. 金色 こんじき 燦爛 さんらん たる 馬印 ウマジルシ
  23. 動くと見るや 驀然 まっしぐら
  24. 西軍 せいぐん 参謀 サンボウ たる
  25. 大谷刑部が旗本目がけ
  26. 雪崩 なだれ を打って突きかゝる
  27. すわや金吾が裏切なりと
  28. 刑部 ぎょうぶ はつ 逆立てゝ
  29. おのれ 日本 にっぽん 一の 卑怯者 ひきょうもの
  30. やわか 其儘 ソノママ 置くべきぞと
  31. のゝし りながら迎へ撃つ
  32. 家康扨はと ほく
  33. いくさ ハヤ 勝利なり
  34. 此の はず さず切 くず せと
  35. きび しく 下知 げち を伝ふれば
  36. 東軍勇みて とき を揚げ
  37. とう の如く押寄する
  38. 三成この さま を打眺め
  39. 悲憤の涙を呑みながら
  40. あゝ金吾に事を破られぬ
  41. ほう の御運も末なるかと
  42. 天を あお ひで 浩歎 こうたん
  43. 老臣 がも 備中 ビッチュウ 島左近を招き
  44. 既に大事は去りつるぞ
  45. 是や 主従 シュウジュウ 訣別 わかれ
  46. いざ 水盃 ミズサカヅキ をと かたわら
  47. がわ みづ 手に むす
  48. くまいれよと 差出 さしいだ
  49. 水はもとより れつれど
  50. 残る しづく たゝ へたる
  51. 千万 せんまん 無量の情けをば
  52. 涙と共に押し イタダ
  53. さらば御免と 両人 りょうにん
  54. 再び駒に打 またが
  55. 崩れ立ったる味方を はげ まし
  56. 目指すは ない しるし ぞと
  57. シュ の如く たけ り立ち
  58. 力を限りに たゝか ひしも
  59. 西軍 ツイ 敗北 はいぼく
  60. サン の桐に あき 風の
  61. 吹き めしこそ 是非 ゼヒ なけれ
  62. に一将の こう 成りて
  63. ばん こつ ちし関ヶ原
  64. いっ の英雄三成が
  65. くん の為に身を捨てゝ
  66. 武士の かゞみ を残したる
  67. 孤忠 せつ の跡 へば
  68. ブキ おろし 蕭々 しょうしょう
  69. 松に答ふるばかりにて
  70. うらみ や永く残るらん
  71. 恨や永く残るらん
  • 1.-6.

    栄えることも滅ぶのも
    天の定めた運命だ
    勝つも負けるも時の運
    だが世にへつらう歴史家に
    誤り伝えられたため
    その身が滅ぶだけでなく
    名声までも埋もれてしまう
    悲運の偉人はいたましい

  • 7.-13.

    太閤豊臣秀吉が
    いまわの際の枕元
    「秀頼はまだ幼い
    しっかり支えてやってくれ」と
    後の事を言い残し
    阿弥陀が峰に葬られ
    永い眠りについたのち

  • 14.-22.

    残した子供を託される
    つとめを帯びた家康は
    徐々に家来を増やしつつ
    豊臣家をいつかは倒し
    かわりに天下を取る腹を
    隠そうとしても隠せない
    難攻不落とうたわれた
    大阪城の盤石も
    揺らぎ始めたのであった

  • 23.-30.

    近江の国の佐和山城主
    石田治部少輔三成は
    はやく家康の心を見抜き
    あれこれ心を砕いていたが
    会津の上杉景勝と
    ひそかに心を通わせて
    あの家康の古狸
    西と東で挟み撃ち
    お家の安泰をはかろうと
    仲間を集めてみたところ

  • 31.-37.

    毛利輝元 小早川
    大谷刑部を初めとして
    西国筋の諸大名
    ほとんど味方についたので
    その軍勢は十万騎
    正義の旗をひるがえす

  • 38.-44.

    ちょうどその時家康は
    上杉討ちに行く途中
    小山に在陣していたが
    知らせを聞いて驚いた
    「さては三成豊臣家のため
    この家康を討つというのか
    敵ながらもあっぱれなやつ

  • 45.-50.

    そうはいってもこのままに
    お前を討たずにいたのでは
    わが大望はとげられぬ
    さあ」と軍勢ひるがえし
    八万騎あまり引き連れて
    東海道を西へ向かう

  • 51.-55.

    両軍がぶつかったのは
    近江と美濃の国境
    破れぬと書く不破の地ながら
    両者のどちらか一方は
    必ずやぶれる関ヶ原

  • 56.-61.

    時に慶長五年九月十五日
    たちこめる霧をつんざいて
    一発の銃が鳴り響けば
    そこはたちまち地獄の戦場
    人が叫び馬がいななき
    刀の音もすさまじい

  • 62.-73.

    西軍たばねる三成は
    笹尾山に本陣を敷き
    茶縮緬の頭巾をかぶり
    紺糸縅の小具足に
    一枚羅紗の陣羽織
    緞子の脚絆布草鞋
    赤銅作りの太刀を帯び
    秀吉様から譲られた
    団扇をその手に持ちながら
    矢も鉄砲も飛び交う中で
    落ち着きはらって床几に腰掛け
    勝負を決める頃合いが
    来るのをじっと待っていた

  • 74.-80.

    今こそ好機と見て取って
    天満山と丸山で
    天にも届く狼煙の合図
    さっとばかりに打ち上げて
    松尾山の秀秋に
    急ぎ東軍の中心を
    突き崩せよと促した

  • 81.-84.

    ところがそちらの山の上
    動いているのは雲ばかり
    軍勢静まりかえっていて
    三成の胸に不安が宿る

  • 85.-91.

    東軍大将家康は
    かねて金吾秀秋を
    味方に釣っておいたので
    馬の鞍をしきりにたたき
    催促の鉄砲数百挺
    火蓋を切ってつるべ打ち
    味方になるか歯向かうか
    どうだとばかりに脅しつける

  • 92.-98.

    銃声一時に鳴り響くと
    松尾山の山頂の
    小早川家の馬印
    動くやいなや一直線
    西軍の知恵袋
    大谷刑部の本陣目指し
    なだれを打って突撃する

  • 99.-103.

    「ああ金吾めが裏切った」と
    刑部は怒り心頭で
    「日本一の卑怯者
    どうして許しておけようか」と
    ののしりながら迎え撃つ

  • 104.-109.

    家康はほくそ笑み
    「これで決まったもう勝った
    この機を逃すな切り崩せ」と
    きびしく命令したところ
    東軍勇んでときを揚げ
    怒涛のように押し寄せた

  • 110.-115.

    この様子見て三成は
    怒り悲しみ涙を流し
    「金吾にやられてしまったぞ
    これで豊臣家も終わる」と
    天を仰いで嘆き悲しみ
    蒲生備中 島左近
    二人の家来を呼び寄せて

  • 116.-120.

    「もはや勝ち目はなくなった
    これがこの世の最後の別れ
    さあ水さかずき」とそばにある
    小川の水を手に汲んで
    「早く飲め」と差し出した

  • 121.-126.

    水は指から漏れるけれど
    残った雫にあふれている
    三成様のあつい心
    涙ながらにぐっと飲み干し
    「では」と言ってこの二人
    再び馬に乗り直し

  • 127.-133.

    崩れた味方を励まして
    「目指すは家康の首一つ」と
    阿修羅のような勢いで
    力の限り戦ったが
    西軍ついに敗北し
    五三の桐に秋風が
    吹いて来たのもやむを得ぬ

  • 134.-143.

    まことに一将功成って
    万骨散った関ヶ原
    英雄石田三成が
    豊臣家のため身を捨てて
    忠義を尽くし節を守り
    武士の鑑を世に残した
    その場所を今たずねても
    伊吹山から吹き下ろす
    風がさびしく松の木を
    ゆさぶる音がするばかり
    永く恨みが残るだろう

注釈

1. 天の命…天に定められた運命。3. 諛ねる史家…権力者に媚びる歴史家。江戸時代の歴史家は一般に、歴史の記述に当たって徳川家を正当化した。4. 千載…千年。長い歴史。5. 万古…遠い昔から続く歴史。7. 太閤…豊臣秀吉。慶長三(1598)年八月十八日に伏見城で死去したが、その直前に徳川家康らの有力大名を呼び寄せ、嗣子秀頼の後見を依頼した。12. 阿弥陀が峰…京都の東にある峰。秀吉の遺体が埋葬された地。14. 託孤寄命…遺児を託して国政をゆだねること。『論語』に「以て六尺の孤を託すべく、以て百里の命を寄すべし」とあるのに拠る。16. 羽翼…主君を補佐する家臣。17. 豊家…豊臣家。20. 南山不落…難攻不落。「南山」は長安の東南にあった終南山。21. 大阪城…豊臣家の城。23,1. 江州…近江国。現在の滋賀県。23,2. 佐和山…近江の地名。現滋賀県彦根市。石田三成の居城があった。24. 石田治部ノ少輔三成…石田三成。「治部ノ少輔」は官名。豊臣秀吉の近臣で、五奉行の一人とされる。25. 疾く…早くから。27. 上杉景勝…当時の有力大名の一人で、会津を領有していた。家康が会津に出征した隙を突いて三成が挙兵したため、景勝と三成はあらかじめ共謀して家康を東西から挟撃するつもりであった、とする説が江戸時代からある。28. 老獪…経験が豊富でずる賢い。29,1. 君家…主君の家。29,2. 泰山の安きに置かんと…安定したものにしようと。「泰山」は中国山東省の山で、大きく安定したものの例え。30. 檄…同志を集めて決起を促すための手紙。31. 毛利中納言輝元…毛利輝元。中国地方を領有していた有力大名。石田三成により西軍の総大将に擁立された。32. 小早川中納言金吾秀秋…秀吉正室北政所の甥だが、小早川家の養子となった。「金吾」は衛門府の唐名。秀秋は権中納言兼左衛門督に任じられていたので「金吾中納言」と称された。33. 大谷刑部少輔吉隆…大谷吉継。名は江戸時代の文献では「吉隆」とされることが多い。石田三成の盟友で、関ヶ原で西軍が敗れると、戦場で自害した。37. 中原…国の中央。天下を争う舞台となる場。40. 小山…現栃木県小山市。45. さはさり乍ら…そうはいっても。48. 師をかへし…軍勢を反転させ。52. 美濃…現岐阜県の南部。「不破の関」は関ヶ原の地にかつて設置された関所で、歌枕として知られた。「関屋」は関所の小屋。55. 関ヶ原…現岐阜県不破郡関ヶ原町。57. 残ん…「残り」の訛形。58. 一道…一本。「道」は光など細長いものを数える助数詞。59. 修羅場裏…激しい戦闘が行われる場所の中。62. 西軍…三成方には西日本の大名が多かったため「西軍」と称する。63. 笹尾…関ヶ原北西に位置する山。石田三成が本陣を置いた場所。64. 茶縮緬…茶色の縮緬。65,1. 紺糸縅…紺色の糸で鎧をつづること。65,2. 小具足…防具のうち小さなもの。籠手・臑当など。66,1. 羅紗…羊毛で織った厚地の毛織物。66,2. 陣羽織…陣中で鎧の上に着る袖のない羽織。67,1. 緞子…厚手の絹織物。67,2. 脚絆…すねを保護するために巻く布。68. 赤銅作…金を含んだ銅で金具を製造すること。70. 矢玉…矢と鉄砲の弾丸。71,1. 神色自若…あわてず落ち着いている様子。71,2. 床几…野外で座るための折り畳み式の腰掛け。74. 潮合…好機。75,1. 天満…関ヶ原の西部、笹尾山の南にある山。宇喜多・小西・島津らの陣所。75,2. 丸山…「岡山」とも。黒田長政の陣所。78. 松尾山…関ヶ原南西に位置する山。小早川秀秋の陣所。79. 中堅…軍勢の中心部分。大将が直接統率する最強の部隊。88. 鞍坪…鞍の中央部で人が座る部分。89. 誘ひの鉄砲…味方につくよう督促するために鉄砲をうつこと。90. 火蓋…火縄銃で、火薬を入れる口を覆う蓋。これを開けて火薬を詰め、発射の準備をする。91. 向背如何に…味方につくか敵になるか。92. 百雷…多くの銃声。その音を雷鳴に例える。94. 馬印…大将の位置を示すために、高い棹の先に目印を付けたもの。95. 動くと見るや…動くや否や。100. 怒髪逆立てゝ…髪が逆立つほど怒って。102. やわか…どうして。104. 北叟笑み…満足そうに笑い。107. 下知…命令。114. 浩歎し…おおいに嘆き。115. 蒲生備中・島左近…ともに石田三成の重臣で、関ヶ原で戦死した。117. 一期の訣別…一生の別れ。118. 水盃…酒ではなく水を杯に入れて飲みかわすこと。別れの挨拶。119. 掬び…手のひらに水をため。121. 漏れつれど…指の透き間から洩れて落ちるが。123. 千万無量…はかり知れないほど大きい。128,1. 内府…内大臣。このころ家康は内大臣に任じられていた。128,2. 首…首級。132. 五三の桐に秋風の…豊臣家の家紋「五三の桐」と、桐が秋を告げることをかけた表現。133. 吹き初めしこそ是非なけれ…豊臣家の行く末に、冷たい秋風が吹き始めたように陰りが見えたのも、いたしかたのないことであった。134.-135. 一将の功成りて万骨朽ちし…諺「一将功成りて万骨枯る」に拠る表現。但し「万骨」は本来、勝利した側で死んだ多数の兵のことだが、ここでは敵味方に関係なく合戦で戦死した兵のことであろう。139. 孤忠…たった一人で尽くす忠義。140,1. 伊吹颪…伊吹山から吹き下ろす風。伊吹山は関ヶ原の北西に位置する。140,2. 蕭々と…風がさびしい音をたてて吹くさま。

関ヶ原古戦場 激戦の地の碑と旗(岐阜県)

音楽ノート

本曲は日本の歴史のなかでも有名な戦いの一つを語る長大な曲である。そのため、曲中に挿入される合いの手に「攻め」と呼ばれる種類がかなりの数、用いられているのも納得できることである。「攻め」とは攻撃という意味で、種類も数多くあり、劇の展開で大きな動きのある場面では必ず用いられるものである。本曲においても、特に高度な技巧が求められる七つの「攻め」が挿入されている。力強い合いの手のいずれをも速く大きな音で弾かなければならない上、語りの進展に合わせてテンポを加減し、一二か所だけ、とりわけ極端に目立つように演奏するのは演奏者にとってまさに腕の見せ所である。
作曲という観点からみると、暗い場面にも「攻め」が用いられているのが興味深い。125行目の後、最後の戦いが始まる前に負け戦を悟った三成が、気心の知れた二人の近臣、蒲生備中、島左近と別れの水杯を交わす場面である。皆、これまでのことを振り返って無念の涙を流し、万感を胸に「さらば御免」と別れのことばを言う。このような場面での合いの手は、やや控えめに表現し、拍子をはっきりと刻まないのが常であるが、本曲の作曲者はここで輪郭のくっきりした「攻め」を選んでいる。

『徳川家康像』(狩野探幽 画)

しかし、通常の「攻め」の奏法ではない。もし、演奏者がここを通常の「攻め」のテンポで力強く演奏したなら、感きわまったヤマ場の雰囲気を壊してしまうことになろう。
「攻め」を深く悲劇的な感情をこめて、ゆっくりと演奏することは演奏者にとって大変難しいところである。うまくいったなら素晴らしい効果をもたらす。つまり本曲の大部分を占める戦いの場面が思い出され、突如として深い悲しみを見せるのである。言い換えれば、「攻め」という合いの手を逆手にとることによって、すべての劇的な動きの表現が哀調を帯びた背景を持つことになる。本曲を聞き終え、静かに振り返ってみると、戦場での勇ましい戦いという初めの印象が、曲の終わりの合いの手一つによって突如として、人の世の無常を感じさせる雰囲気へと転換し、悲しみの色を帯びてくるのである。