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saigo takamori

西郷隆盛

解説

西郷隆盛(1828-1877)は薩摩藩(現鹿児島県)の出身で、幕末期には倒幕運動の中心的役割を果たした。維新後は新政府にあって参議・陸軍大将などの要職を歴任したが、明治六(1873)年、征韓論をめぐる政争に敗れて下野した。その後は故郷鹿児島に帰り、新たに設立された私学校において後進の指導に当たっていたが、明治十(1877)年2月、鹿児島の不平士族に擁立されて反政府の兵を挙げ、西南戦争の主導者となった。政府軍との戦闘は鹿児島県・熊本県・宮崎県の各地で半年にわたって続いたが、やがて劣勢となった薩摩軍は9月に鹿児島に退却し、城山に籠城する。同月24日、政府軍の総攻撃を受け、西郷ら薩摩軍の主要人物は戦死あるいは自決した。
西郷隆盛の没後、その伝記が数多く編纂され、また遺徳を偲んで種々の文芸作品が作られた。勝海舟(1823-1899)の作詞した薩摩琵琶曲『城山』はその代表的なものである。なお本作には二首の漢詩が引用されている。34.-37.「百戦功無シ」の一首は杉聴雨の作「題岩崎谷洞」であり、116.-119.「孤軍奮闘」の一首は西琴石(道仙)の作「城山」である。だが両作いずれもこの時の西郷の境遇を詠じた作品であったため、後にしばしば西郷自身の作と見なされた。

参考文献

猪口篤志『日本漢詩』(新釈漢文大系) 明治書院 1972
山下郁夫『研究 西南の役』 三一書房 1977
野村邦近監修『吟詠教本 漢詩篇(二)』 日本詩吟学院岳風会 1991
小川原正道『西南戦争』(中公新書) 中央公論新社 2007
猪飼隆明『西南戦争』(歴史文化ライブラリー) 吉川弘文館 2008
松尾千歳『西郷隆盛と薩摩』(人をあるく) 吉川弘文館 2014
林田愼之助『幕末維新の漢詩』(筑摩選書) 筑摩書房 2014

あらすじ

明治十10年、西郷隆盛は征韓論に強硬に反対する政府勢力を打ち払おうと、一万余騎を率いて鹿児島から出撃した。しかし各地を巡って数か月に及んだ戦に残る兵は数百となり、再び鹿児島に戻って城山に立てこもった。政府の大軍は城山を取り囲み激しく迫ってきた。火花散る戦いをよそに西郷は一人、洞窟の中で悠然と碁を打ち、最期を故郷で迎える幸せを詩に詠んだ。やがて夜が更けると、おのおの別れの酒を酌み交わし琵琶を吟ずるものも出た。短い夜が明けると再び鬨の声が挙がり、硝煙であたりが見えぬほどの銃撃戦となった。覚悟を決めた西郷が洞窟を出るやいなや、政府軍の銃弾が注ぎ、その一発が西郷の腹を貫いた。西郷は大地を血で染めながら都の方角を拝み、天皇の世の永く続くことを念じつつ、別府晋介に介錯を命じた。別府は師と仰ぐ西郷を斬る辛さに断腸の思いであったが、迫りくる敵を前にして、意を決して刀を振り下ろすのであった。

西郷隆盛銅像(鹿児島県)

  • 詞章
  • 現代語訳
  1. ユウ カイ おゝ ひつゝ
  2. 力は山を抜くとても
  3. 千々 ちゞ まつ はる運命の
  4. きずな 切るべき 太刀 タチ はなく
  5. 英雄あはれ三千の
  6. 子弟に身をば任せけり
  7. さても西郷隆盛は
  8. 征韓論を はゞ みつる
  9. 奸臣原 かんしんばら を払はんと
  10. 一万余騎を引率し
  11. 意気 しょう てん の勢ひにて
  12. 鹿児島打って でけるが
  13. 戦ひすでに スウ げつ
  14. ワタ りて味方打敗れ
  15. ワズ かに残る三百騎
  16. 秋風 しうふう 寒むき 城山 シロヤマ
  17. 帰り キタ りて立て籠る
  18. コノ 時官軍六旅団
  19. ウン ゴト く寄せ来つゝ
  20. 十重 トエ 廿 ハタ 取囲 トリカコ
  21. 逆賊原を打取れと
  22. 勢ひ ハゲ しく攻めかゝる
  23. 味方はひるまず応戦し
  24. 雄叫 おたけび の声 トキ の声
  25. 天地を崩す バカ リなり
  26. さしも劇しき戦ひを
  27. 余所 よそ に見なして隆盛は
  28. 岩窟 いわや うち に悠然と
  29. カク ヨク ギョ リン と陣立てゝ
  30. 打ちつ打たれつ星の数
  31. 乱るゝ いし さらさらと
  32. こぼ すや菊の露ならん
  33. やがて一紙を押のべて
  34. 百戦功無シ半歳ノ かん
  35. 首邱 しゅきう 幸ニ ざん かえ ルコトヲ
  36. 笑ウ われ 死ニ向ッテ 仙客 せんかく ノ如シ
  37. ジン ジツ 洞中 きょう かん ナリ
  38. 既に ソノ けゆけば
  39. 劇しかりける つゝ おと
  40. いつしか みて あま の戸に
  41. とこ かり の鳴き渡る
  42. 声も かす かに聞えつゝ
  43. 此の世の別れと む酒の
  44. うたげ たけなわ となりにけり
  45. さても ゆか しや 誰人 たれびと
  46. ヨイ 限りと澄み渡る
  47. 月に向ひて き鳴らす
  48. なれ の琵琶の声きけば
  49. 須磨の若木の桜花
  50. 嵐に散りし アツ モリ
  51. 互の身さへ 紅葉 もみじば
  52. 嵐待つ間の いのち なり
  53. つゝ を枕に 兵士 つわもの
  54. かり の夢を結ぶ間も
  55. なくや ふもと くだかけ
  56. 東天紅 トウテンコウ と告げ渡り
  57. 雲間を漏るゝ残月の
  58. しら み行く旗 すゝき
  59. マタ も揚がれる喊の声
  60. どっと山にぞ響きける
  61. かねて覚悟の事なれば
  62. 味方は何か恐るべき
  63. 寄せ る敵を迎ひ撃ち
  1. あな ココ よや ぶん じゝ
  2. 打取る さま に似たるぞや
  3. 今を最後と戦ひて
  4. 薩摩 隼人 はやと の武勇をば
  5. 語りつがせよ 者共 モノドモ
  6. キリ は衆を はげ まして
  7. 獅子 奮迅 ふんじん と荒れ廻る
  8. 今こそ 死出 シデ の山 みや
  9. しげ く飛び る弾丸に
  10. 右に左に狼藉と
  11. 撃ち倒さるゝ しかばね
  12. 躍り越えつゝ戦へば
  13. ショウ エン クモ 渦巻 ウズマ きて
  14. 山影見えずなりにけり
  15. 隆盛打見てほゝぞ笑み
  16. 敵も味方も敷島の
  17. やまと 男児 おのこ の勇ましさ
  18. 君の 御稜威 ミイヅ 外国 とつくに
  19. 輝かさんはいと ヤス
  20. あな心地よや ムラ ギモ
  21. 心にかゝる雲もなし
  22. いざ 諸共 モロトモ と立上り
  23. 岩崎谷に打向ふ
  24. 折しも らっ の声急に
  25. 官軍近く迫り来て
  26. シノ く如く打 だす
  27. 一弾飛んで隆盛が
  28. 腹をドッとぞ打 きける
  29. 血汐に草を染めなせる
  30. 大地に坐して 九重 ココノエ
  31. 都の方を伏し拝み
  32. 時の勢ひ是非もなく
  33. 事を挙げつる隆盛が
  34. 心の底を 大君 オオキミ
  35. きこえ上ぐべき ヨシ なくて
  36. 臣は此の世を 退 まか るなり
  37. 万世 よろづよ もましまして
  38. みゐづは遠く 海原 うなばら
  39. そと まで テラ させ給へやと
  40. 心の うち に念じつゝ
  41. やがて かたえ を振り向きて
  42. 別府切れとぞ命じける
  43. 流石 サスガ に別府晋介は
  44. 父とも師とも アオ ぎつる
  45. 西郷翁にあてかねて
  46. やいば 持つ手も打 へて
  47. はらわた き思ひ
  48. 暫時 しばし 涙に暮れけるが
  49. 敵はいよいよ近づきぬ
  50. ゆるさせ給へと一刀を
  51. おろせば哀れ松が枝の
  52. ズエ の露と散りにけり
  53. 孤軍奮闘 かこみ ヲ破ッテ還ル
  54. 一百ノ里程 塁壁 るいへき あいだ
  55. 我ガ剣ハ既ニ折レ ワガ 馬ハ たを
  56. 秋風 しうふう 骨ヲ うづ ム故郷ノ山
  57. 千載 せんざい 稀に世に出でし
  58. 英雄 うん つたな くて
  59. はかなき最後を げけるも
  60. みたまは千代に 万代 よろづよ
  61. 君が 御稜威 みいづ を守るらん
  62. 君が御稜威を守るらん
  • 1.-6.

    大きな心は世界にはばたき
    力は山を抜くほどだが
    からまる糸の運命は
    刀で切れるものでなく
    ああ英雄も三千の
    若者たちに身をまかす

  • 7.-12.

    そもそも西郷隆盛は
    征韓論をさまたげる
    悪人どもを除こうと
    兵一万を引き連れて
    天にも届く勢いで
    鹿児島を出撃したが

  • 13.-17.

    いくさは既に数か月
    味方はどうやら負け続け
    わずかに残る三百騎
    秋風の吹く寒い中
    城山に帰り立てこもる

  • 18.-25.

    政府軍は大編成
    雲霞のごとく押し寄せて
    囲む城山十重二十重
    逆賊たちを討ち取れと
    はげしく攻めてきたけれど
    味方はひるまず応戦し
    あげるおたけび鬨の声
    天地を崩すほどだった

  • 26.-32.

    それほど激しい戦いを
    人ごとのように隆盛は
    洞窟の中で悠然と
    鶴翼魚鱗の陣形で
    石を打ったり打たれたり
    乱れた碁石をさらさらと
    こぼすとまるで菊の露

  • 33.-37.

    そして広げる紙一枚
    そこに記した一首の漢詩
    この半年は何回も
    戦ったけれど遂に勝てず
    いよいよ死ぬという時に
    故郷に帰れて幸せだ
    目の前に死があっても
    平常心で笑っていよう
    洞窟のなかは一日中
    静かに響く碁石の音

  • 38.-44.

    既に夜も更けさっきまで
    はげしく鳴った大砲の
    音もいつしかやんでいる
    遠い国から来たという
    雁の鳴くのがかすかに聞こえ
    この世の別れと酌みかわす
    酒を飲みつつ宴もたけなわ

  • 45.-52.

    誰か知らぬが風流に
    今夜限りと照る月に
    向かって琵琶を弾いている
    見事な腕のその音色
    「まだまだ若い桜の花
    須磨の嵐に散る敦盛」
    弾き手も聞き手もお互いに
    嵐がくれば散る命

  • 53.-58.

    銃を枕に眠る兵
    短い夢を見る間もなく
    ふもとの鶏鳴き出して
    朝を知らせる東天紅
    空に残った月の光
    雲のすき間から漏れてきて
    すすきを白く照らしている

  • 59.-63.

    再びあがる鬨の声
    大音量が山に響く
    既に覚悟は決めており
    恐れることは何もない
    寄せ来る敵を迎え撃つ

  • 64.-70.

    「ああ痛快だこのありさまは
    猪狩に似ているぞ
    今日が最後と戦って
    薩摩隼人の勇ましさ
    語り継がせよおまえたち」と
    桐野は皆を励まして
    獅子奮迅の暴れぶり

  • 71.-77.

    今こそ越える死出の山
    ひっきりなしの弾丸は
    右に左に乱れ撃ち
    撃たれて倒れたしかばねを
    乗り越えながら戦うと
    硝煙あたりにたちこめて
    山の姿も見えぬほど

  • 78.-86.

    隆盛はほほえんで
    「敵も味方も日本男児
    この勇ましさがあるならば
    みかどの御威光外国に
    輝かすのもたやすいこと
    今は気分がとてもよい
    心に何の曇りもない
    さあ一緒に」と立ち上がり
    岩崎谷を目指して進む

  • 87.-91.

    この時はげしく鳴るラッパ
    政府軍が間近に迫り
    雨あられと浴びせる銃弾
    その一発が隆盛の
    腹をどっと貫いた

  • 92.-99.

    大地の草も血に染まる
    その上にすわりこみ
    都の方角はるかに拝み
    「時の流れでこの西郷
    やむなく兵を挙げました
    陛下にわたしの本心を
    申し上げることできぬまま
    この世をおいとまいたします

  • 100.-105.

    みかどはこれからいつまでも
    その御威光をはるかに遠く
    世界の果てまで照らして下さい」
    心の中で念じると
    そのまま横に振り向いて
    「別府よ切れ」と命令した

  • 106.-115.

    流石に別府晋介は
    父とも師とも仰ぎ見た
    西郷様の首を斬ると
    思えば刀を持つ手も萎え
    そのつらいことまさに断腸
    しばらく泣いているばかり
    しかしいよいよ敵が来る
    「お許し下さい」と刀ひらめき
    松葉の露と散る命

  • 116.-119.

    周りに味方は誰もない
    敵の包囲を破って通る
    百里の間は城壁ばかり
    わが剣は既に折れ
    わが馬も既に倒れ
    秋風の吹く故郷の山
    ここに骨を埋めよう

  • 120.-125.

    千年の歴史の中で
    めったに出ない英雄でも
    時の運にめぐまれなければ
    はかない最期をとげるけれど
    そのたましいはいつまでも
    みかどをお守りするだろう

注釈

1,1. 雄図…雄大な意図。1,2. 四海…世界中の海。2. 力は山を抜く…力がとても強いさま。『史記』項羽本紀に「力は山を抜き気は世を蓋ふ」とあるのに拠る。勝海舟作『城山』でも西郷を「抜山蓋世の勇あるも」と評している。3. 纏はる…からみつく。8. 征韓論…当時鎖国していた隣国朝鮮に使者を送り、その次第によっては開戦も辞さないとする議論。西郷のほか江藤新平・板垣退助らが唱えた。一方大久保利通・木戸孝允らはこれに反対し、両者が争ったいわゆる明治六年の政変の結果、西郷らの征韓派が下野した。9. 奸臣原…「奸臣」は悪心を持つ臣下。「原」は複数を表す接尾語で、対象を軽侮する語感がある。11. 意気衝天…意気込みが天を衝くほど盛んであること。16. 城山…現鹿児島市城山町。18. 旅団…軍隊の編成部隊の一つ。一旅団は約数千人の規模。19. 雲霞の如く…軍勢がとても多いさま。24. 喊の声…鬨の声。27. 余所に見なして…まるで自分には関係のないことのように冷静に受け止めて。28. 岩窟の中…城山に籠城した西郷らは、山中の洞窟に身を潜めていた。29. 鶴翼魚鱗…いずれも兵法で陣形の名。鶴が羽を広げた形に似ているのが「鶴翼」で、魚の鱗を並べたような形が「魚鱗」。30. 星の数…碁盤上の特定の点を「星」と称するのを踏まえた表現か。32. 零すや菊の露ならん…碁盤の上から碁石がこぼれるさまを菊の露に例えた表現。34. 百戦功無シ…何度も戦ったが戦功を挙げられなかった。35,1. 首邱…首丘。故郷を思うこと。狐は死ぬ時に必ず、故郷の丘の方角に首を向けるということに由来する。35,2. 家山…故郷。36,1. 笑ウ儂…自分のことながら笑ってしまう。36,2. 死ニ向ッテ仙客ノ如シ…死を目前にしても、不老不死の術を極めた仙人のように平然としている。37,1. 尽日…一日中。37,2. 棋響…碁石を打つ音の響き。40.天の戸…空。41. 常世…海の向こうにあるとされた想像上の国。44. 酣…酒宴が盛り上がっている状態。45. 床し…風流で心がひかれる。「床」は当て字。48. 手馴…扱い馴れていること。49. 須磨の若木の桜花…若くして須磨で戦死した平敦盛を桜に例えた表現。50. 小敦盛…平敦盛を描いた薩摩琵琶曲の一つ。51.互の身さへ…琵琶を弾いている者も聞いている者も互いに。55,1.なくや…「間も無く」と「鳴くや」の懸詞。55,2. くだかけ…にわとり。56. 東天紅…鶏の鳴き声を表した漢語の擬音語。58. 旗薄…旗のように風になびくすすき。62. 何か恐るべき…何か恐れるものがあるであろうか、何も恐れるものはない。64. 豊後猪…九州南部で、よそから来て食物に不自由しているやせ細った猪をいう。67. 薩摩隼人…薩摩の男性の勇壮さをたたえた呼称。69. 桐野…桐野利秋。もと薩摩藩士。旧名は中村半次郎で、幕末期には「人斬り半次郎」として恐れられた。維新後は陸軍少将となったが、西郷が下野するとそれに従い、西南戦争では指揮官をつとめ、城山総攻撃の日に戦死した。71. 山踏み…山を歩くこと。72. 繁く…数多く。73. 狼藉…ものが乱れ散っていること。76. 硝煙…発砲や爆発によっておこる煙。79. 敷島の…「やまと」にかかる枕詞。81. 御稜威…御威光。「みゐづ」も同じ。83. 村肝の…「心」にかかる枕詞。86. 岩崎谷…城山の東から麓に下る谷の名。87. 喇叭…ラッパ。89. 篠突く…雨がはげしく降るさま。93. 九重の…「都」にかかる枕詞として用いる。96.事を挙げつる…挙兵した。97.大君…天皇。98.きこえ上ぐべき由なくて…申し上げる手段がなくて。99. 臣…貴人に対する自称。106. 別府晋介…もと薩摩藩士。西南戦争に加わり、西郷の自決を介錯した。108. 翁…年長者に対する敬称。110. 腸を断つ憂き思ひ…断腸の思い。113.-114. 一刀をおろせば…刀を振り下ろして西郷の首を落とすと。115. 葉末の露…葉の先から今にも落ちそうな水滴。はかない命を例える。117,1. 一百ノ里程…一里は約4キロメートル。117,2. 塁壁…多くの城。120. 千載…千年の長い歴史。121. 時運拙くて…運が悪くて。123. みたま…たましい。

「官軍と西郷軍の激突」(作者不明)

音楽ノート

本曲は、もともと長い曲であるが、短縮版が演奏される場合が多い。曲の長さもさることながら、多くの逸話をちりばめて詳しく語るよりも、それらを削除して簡潔にしたほうがよりインパクトが強くなるという理由からであろう。
全曲を語る場合、最も大きな問題となるのは、まず第一に、18~25行目の短い戦いの描写のなかの、劇的な技巧を要する合いの手「丁六」で終わる箇所である。語りの全体の流れのなかでこれほど早く強烈なクライマックスに達するのは、奏者にとっては演奏しづらいものである。しかもそのすぐ後の34~37行目には、通常、旋律豊かな詩吟の形式で歌われる4行の漢詩が入っている。これが静かな詩であるため、劇の展開という観点から見れば休止をもたらすことになる。このように相対する二つの極端な運びが続いて起こるため、演奏者は音楽の流れを容易に作りだすことができない。それを解決するために18~37行目が削除されるのである。

西郷隆盛終焉の地(鹿児島県)

しかしながら、本曲の音楽面で最も注目すべき点は、その特殊な演奏文化である。原曲の標準的な節付けを演奏者が自分なりに変えて演奏する傾向があるのは、他のどの曲にもみられないことである。あたかも、演奏者のだれもが西郷隆盛の運命を他の人よりよく理解していることを見せたがるようでもある。「橘会」は普通、細部に至るまで忠実な記譜を誇りとしているが、それは曲を勝手に解釈しないようにするためである。しかし『西郷隆盛』の曲は例外である。山崎旭萃師さえもそうした演奏をした一人である。旭萃師は多くの箇所で、基本的に決まった節回しの一部を変えて演奏することを考え出した。しかし、それ以上に鹿児島出身の演奏者たちは西郷隆盛の最期を嘆く場面をより大胆に変化させて演奏する。郷土の英雄への思い入れが強いためだが、それがあまりにも個人的すぎ、主観的すぎると指摘することは誰にもできない。鹿児島の人は本曲に限って、決して芸術に関わる批判に耳を傾けようとはしないのである。