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hirano kuniomi

平野国臣

解説

平野国臣(1828-1864)は筑前福岡出身で、幕末期に尊皇攘夷運動の志士として活躍した。文久三(1863)年十月、国臣は但馬国生野で倒幕のために兵を挙げたが事成らず、逃れる途中で捕らわれて豊岡藩の獄に収監され、翌元治元(1864)年一月、京都の六角獄舎に移送された。ところが同年七月十九日、禁門の変が勃発し京都が戦場となるに及び、後難を恐れた幕府役人の命により、同二十日、獄舎にあった多数の政治犯が斬殺された。国臣もその一人であった。享年三十七。
なお国臣は、上述の時を含めて生涯に何度か投獄されたが、獄中でおびただしい量の和歌を詠みまた文章を著述している。筆墨の使用が許可されない場合に、こよりで文字を作り紙に貼り付けて文書としたこともあり、その一部が現存する。明治期以降、維新の志士たちを顕彰する機運が興り、国臣についても伝記数種や歌集が編纂刊行された。本曲に国臣の辞世その他が引用されているのは、それらを参照したものと思われる。

参考文献

今田主税編『国士模範平野次郎国臣伝』 高橋省吾 1892
平野国臣顕彰会『平野国臣伝及遺稿』 博文社書店 1916
春山育次郎『平野国臣伝』 平凡社 1929
小河扶希子『平野国臣』(西日本人物誌) 西日本新聞社 2004

あらすじ

尊王攘夷を唱え、度重なる投獄にもくじけぬ筑前の志士平野国臣は、但馬の国生野に兵を挙げた。しかし敵勢の大軍に敗れ、捕えられて都大路は六角の獄舎に入れられ、悲憤の毎日を送っていた。
元治元年の七月、秋とはいえ暑さの残る獄舎で、ありあわせの手作りの一弦琴に心を紛らわせていた。そこへ、にわかに大砲の音が轟き、炎が御所を取り囲んだ。国臣は御所の方角を見て天皇の御身を案じつつ、己の忠義も認められず道なかばで捕らわれた身の不運を嘆いた。
炎が牢の近くに迫ってきたとき、役人たちは囚人を逃すため門を解き放ったが、国臣の姿を見つけるや留まれと呼びとめた。すべてを理解していた国臣は泰然として役人を逆賊と諫めたが、駆け寄った役人は国臣を謀反人と呼んで槍をついてきた。
国臣はその槍をつかみ、身が滅んでも魂は陛下をお守りすると言いつつ端座し、大きく胸元を広げた。あわれ、槍の穂先に勇者の命ははかなく消えてしまったのである。

平野国臣像(作者不明)

  • 詞章
  • 現代語訳
  1. 九重 こゝのえ はし の桜風 そよ
  2. 世を鶯の鳴く声に
  3. かよ ひて吹ける笛竹を
  4. 俄かに捨てて ます 良雄 らお
  5. 取り く太刀に敷島の
  6. 大和 やまと ごころ コモるらん
  7. さても筑前の志士
  8. 平野次郎 国臣 くにおみ
  9. 主水 もんど のぶ よし きょう よう しつゝ
  10. 勤王 きんのう 攘夷 じょうい 討幕 とうばく
  11. 旗を いく の山風に
  12. ひるが へしたる甲斐もなく
  13. 雲霞の如く押寄せし
  14. うっ せい に破られて
  15. かた もなき無念さを
  16. 忍びて いづ へ落ちけるが
  17. 程なく敵に とら へられ
  18. 都大路は 六角 ろっかく
  19. くら ひとや に入れられて
  20. ふん の月日送りけり
  21. 頃しも がん 元年の
  22. 秋とはいへど づき の末
  23. ひとや の内はなかなかに
  24. まだ去りやらぬ暑さをば
  25. まぎ らはさんと くに おみ
  26. 須磨琴弾きて忍び
  27. 蚊遣 かや く由もなければ如何にせん
  28. いをねわびぬる夏の な夜な
  29. ゆか しく謡ふ折しもあれ
  30. 俄かに轟く砲声は
  31. 天地 ゆる がすばかりなり
  32. 遠近 をちこち 聞ゆる とき こえ
  33. 猛火は天を こが しつゝ
  34. 熱風 ねっぷう えん を吹き あを
  35. だい かた に黒煙り
  36. 渦巻きかゝる凄まじさ
  37. 国臣そなたを きっ と見て
  38. おそ れ多くも大君は
  39. 如何にわたらせ給ふらん
  40. ちか ひし友は もと
  41. たて となりて戦はん
  42. あゝ我が運は つき ゆみ
  43. 折り てられしはかなさと
  44. 暫し まなこ を打 ふさ
  45. りう きょう こう この 身ヲ寄ス
  46. 半世ノ功名 いち うち
  47. 他日 きう せん 骨ヲ うず ムル処
  1. けい 誰カ又弧忠ヲ認メン
  2. づさ みける 唐歌 からうた
  3. ます たけ いさぎ よき
  4. 覚悟の程こそ知られけれ
  5. れん の猛火 えん えん
  6. ひとや 間近く燃え迫る
  7. なん けよと 牢門 ろうもん
  8. 開きて放つ 囚人 めしうど
  9. なか にら んで ひとや もり
  10. 平野国臣 とゞ まれと
  11. いら だか ごえ に呼はったり
  12. かね したる事なれば
  13. 更に どう ずる しき なく
  14. また須磨琴を き鳴らし
  15. 天津日を おゝ おゝ も暫しにて
  16. つひに えた れ果てぬべし
  17. われは もと より草露の消ゆべき いのち 何かせん
  18. 大内山の逆賊の
  19. 声に力の籠る時
  20. け寄る にん あら くれ武士
  21. だま れ国臣汝こそ
  22. 恩義知らざる大逆人
  23. 徳川幕府の 威光を
  24. 思い知らすぞ観念せよと
  25. 突き やリ のけら首を
  26. むんづとつかんで動かさず
  27. おのれ狼藉何ものぞ
  28. 天に そむ ける徳川に
  29. かり 使はるゝ汝こそ
  30. 皇恩知らぬ 犬士 いぬざむらい
  31. 吾れ今こゝに運 つた なく
  32. どう の槍に さるとも
  33. 魂魄 こんぱく 永く とゞ まりて
  34. 天皇 すめらみかと まも らんと
  35. だい の方を伏し拝み
  36. やがて 胸元 むなもと くつろげつ
  37. こゝを突けとて なを れば
  38. す穂先に 丈夫 ますらを
  39. 忠魂 かへ らずなりにけり
  40. 大内山の花守に
  41. 身をはなさんと歌ひてし
  42. 風流 みやび ごころ 刈菰 かりごも
  43. 乱れつる世は いとま だに
  44. 嵐吹きしく都路の
  45. 露と消えしも 故郷 ふるさと
  46. 千代の松原千代かけて
  47. 残る其名ぞかぐはしき
  48. 残る其名ぞかぐはしき
  • 1.-6.

    内裏の桜も風にそよぎ
    世を憂え鳴く鴬の
    声に似るともいう笛を
    捨てて手に取る勇者の刀
    大和心がこもるはず

  • 7.-15.

    筑前の志士平野国臣
    沢宣嘉をおしいただき
    尊皇攘夷の旗を揚げ
    生野に兵を起こしたものの
    甲斐なく寄せ手の大軍に
    敗れて無念をしのびつつ

  • 16.-20.

    出石を目指して逃れたが
    程なく敵に捕らえられ
    都大路の六角の
    暗い牢屋に入れられて
    怒り悲しむ日を送る

  • 21.-29.

    時はあたかも元治元年
    秋といってもまだ七月
    牢屋の中は残暑きびしく
    気を紛らそうと国臣は
    一弦琴の弾きがたり
    「蚊遣りもたけずどうしたものか
    夏は毎晩寝苦しい」

  • 30.-36.

    その時にわかに轟く大砲
    天地をゆるがすほどの音
    そこやかしこでときの声
    炎は空をこがしつつ
    風にあおられ黒煙
    内裏に向かって渦を巻く

  • 37.-44.

    国臣そちらをきっと見て
    「おそれ多くも天子様
    いかがなさっておられよう
    約束をした仲間たち
    あの火の下で楯となり
    今も戦っているはずだ
    わたしの運はもう尽きた
    折れた弓は捨てられる」と
    しばらくの間目をつぶり

  • 45.-51.

    「竜の爪や虎の口
    危ないところに身を置いて
    これまで手柄も立ててきた
    今ではそれも夢のよう
    いつかあの世に行った時
    罪人となったこのわたし
    誰が忠義を認めてくれよう」
    口ずさんだその漢詩
    あっぱれ勇者のいさぎよい
    覚悟のほどがよくわかる

  • 52.-58.

    紅蓮の炎が燃え広がり
    牢の近くに迫り来る
    ひとまず逃げよと門を開き
    解き放った囚人たちの
    中をにらんで牢役人
    「平野国臣とどまれ」と
    大きな声で呼び止めた

  • 59.-66.

    すべてわかっていた国臣
    少しもあわてる様子なく
    またかき鳴らす一弦琴
    「光さえぎる大きな木
    しかしそれもあとわずか
    いずれ枝葉も枯れはてよう
    そもそもわたしははかない命
    すぐに死ぬのはどうにもできぬ
    おかみに対する逆賊め」と
    歌う声にも力がこもる

  • 67.-73.

    そこに駆け寄る武士数人
    「黙れ国臣おまえこそ
    恩義を知らぬ謀反人
    徳川幕府の御威光を
    思い知らせる観念しろ」と
    突いて来る槍の先を
    むんずとつかんで動かさず

  • 74.-82.

    「おのれ何者無礼者
    天に背いた徳川の
    手先となったおまえたちこそ
    みかどの恩を知らぬ犬
    武運つたなく今ここで
    この身が槍に刺されても
    魂だけはこの世に残り
    陛下をお守りいたします」と
    内裏に向かって拝礼し

  • 83.-86.

    そして胸元大きく広げ
    「ここを突け」とすわり直す
    そこに繰り出す槍の先
    勇者の魂失われ
    二度と帰ってこなかった

  • 87.-90.

    都の花の番人に
    なりたいものだと歌っていた
    みやび心も乱れた世には
    それを楽しむゆとりがない

  • 91.-95.

    都に嵐が吹き荒れて
    露と消えてはしまったが
    ふるさと博多の千代の松原
    千代まで残る国臣の
    誉れは今もかぐわしい

注釈

1. 九重の御階…紫宸殿の階段。その側に左近の桜と右近の橘が植えられていた。2. 世を鶯…「世を憂れう」と「鶯」の懸詞。3. 笛竹…国臣には音曲のたしなみもあり、笛や一弦琴などを得意としていた。4. 益良雄…勇敢な男性。5,1. 佩く…太刀を身につける。5,2. 敷島の…「大和」にかかる枕詞。7. 筑前…現在の福岡県西部の旧国名。8. 平野次郎国臣…「次郎」は国臣の通称。9. 沢主水宣嘉卿…沢宣嘉。「主水」は官名。攘夷派の公家で、文久三年八月十八日の政変による「七卿落ち」で朝廷から追放され長州へ逃れた七人のうちの一人。同年十月の生野の変では盟主として擁立されたものの、間もなく逃走した。10. 勤王攘夷…「尊皇攘夷」と同じ。天皇を尊び外国人を排斥するという主張。11. 生野…現兵庫県生野町。文久三年十月十二日、国臣らはこの地で挙兵した。「生野の変」と称する。12. 雲霞の如く…人数がとても多いさま。14. 討手の勢…この時幕府方からは、豊岡藩・出石藩・姫路藩の兵が鎮圧のために生野に派遣された。15. 遣る方もなき…どうしようもない。16. 忍びて出石へ…「忍びていづ」と「出石」との懸詞。「忍びていづ」は秘かに出発すること。「出石」は現兵庫県豊岡市の地名。18. 六角…京都の通りの名。当時六角通神泉苑西入の地に獄舎が存し、幕府に捕縛された多数の志士等が収監されていた。19. 獄…牢獄。21.元治元年…西暦1864年。22. 文月…七月。旧暦では七月から九月まで秋。26,1. 須磨琴…一本の弦のみを張った琴。江戸時代後期に流行した。国臣は入牢中に、畳の糸を抜いて壁板に張り、琴がわりに弾いて興じたことがある。26,2. 忍び音…小さな声。27.-28. 蚊遣り焚く由もなければ如何にせんいをねわびぬる夏の夜な夜な…国臣が六角獄中で蚊に苦しんで詠んだ歌。「蚊遣り」は蚊を追い払うために燻す香。「いをねわびぬる」は眠れずに困る意。30. 俄かに轟く砲声…禁門の変による砲声。前年の政変で京都から退去させられていた長州藩は、元治元年七月十九日、突如藩兵を入京させ、御所を警護する幕府方諸藩との戦闘に及んだ。32. 遠近…遠くにも近くにも。あちらこちらで。37,1. そなた…そちらの方角。37,2. 屹と…擬態語。鋭く。38. 大君…天皇。39. 如何にわたらせ給ふらん…どうなさっておいでであろうか。40. 盟ひし友…国臣は以前より長州藩の倒幕派と連携しており、この時敗れて自刃した真木和泉とも親交があった。42. 我が運は槻弓の…「運は尽き」と「槻弓」の懸詞。「槻弓」はけやきの木で作った弓。45. 龍鋏虎口…以下国臣の辞世の詩。「龍鋏」は竜の爪で、「虎口」とともに危険な境遇の例え。47. 九泉…死後の世界。48,1. 刑余…かつて刑罰を受けた者。48,2. 弧忠…「孤忠」が正しい。ただ一人で忠義を尽くすこと。49. 唐歌…漢詩。50. 益良猛雄…「益良雄」と同じ。55. 開きて放つ囚人…当時牢獄で火災等が発生した場合、囚人を一旦解放し、後日神妙に出頭した者は減刑するという制度があった。56. 獄守…牢獄の看守。58. 苛高声…苛立ってあげる大声。62-3. 天津日を掩ふ大樹も暫しにてつひに枝葉も枯れ果てぬべし…国臣の詠歌。「天津日を掩ふ大樹」は、朝廷の権威のさまたげとなる幕府を太陽の光をさえぎる大木に例えたもの。65. 大内山…皇居。72. けら首…槍の穂と柄とをつなぐ部分。78. 運拙なく…不運にも。80. 魂魄…たましい。84,1. こゝを突けとて…この時殺された囚人たちの中には、獄中を逃げまどったり叫び声をあげたりする者も多かったが、ひとり国臣は泰然として格子に近づき自分の身を獄卒に槍で突かせたとも伝えられている(今田主税編『国士模範平野次郎国臣伝』明治25年)。84,2. 居直れば…すわり直したところ。85,1. 操り出す…「繰り出す」が正しい。85,2. 穂先…槍先の刃の先端。87. 大内山の花守に…国臣には「君が世の安けかりせばかねてより身は花守となりけんものを」という詠歌がある。文久三年正月に福岡の桝木屋獄中で詠んだ一首で、世の中が平穏であれば自分は花の番人になりたい、という心情をあらわしている。89. 風流心も刈菰の…「風流心も刈り」と「刈菰の」との懸詞か。「刈菰の」は「乱れ」にかかる枕詞。90. 暇だに嵐…「暇だにあらじ」と「嵐」との懸詞。「暇だにあらじ」は国事に忙しく風流を楽しむ暇もないの意。91. 吹きしく…吹き荒れる。93. 千代の松原…福岡郊外で博多湾に面する松の名所。明治二年、ここに国臣の招魂社が建てられた。

京都御所(京都府)

音楽ノート

本曲は明らかに通常とは異なった始まり方をする。おそらくは歌の冒頭に天皇の住まいを表す「九重の御階」という歌詞が出てくるためであろう。『平野国臣』は王政復古の動きに身を捧げた人物の物語である。天皇を深く崇敬する平野のこの言葉に対するこころは通常の作曲技法では表せなかったことと思われる。
本曲の音楽面でとりわけ目を引くのは琵琶によってほかの楽器をいかに表現するかということである。26行目に「須磨琴」という言葉が出てきた直後、「須磨琴一」とよばれる合いの手が入る。須磨琴とは、正しくは「一弦琴」と呼ばれる一弦楽器で、平安時代の貴族在原行平が創ったといわれるものである。伝説によれば、須磨に流された行平が一人、浜辺を歩いていたところ、たまたま家の軒に使われていた木片を見つけた。それに一本の糸を張り、左手で糸を押さえる位置をずらしながら右手で弾いた。行平はそうして旋律を奏で、しばし憂いを紛らせたのである。

平野国臣像(作者不明)

国臣は詩人であり、当時、古典を愛する人々の間で流行していた一弦琴の名手でもあった。その彼も獄舎の中では満足な楽器が手に入れられなかったのは確かである。そこで畳の糸を引き抜き、食事の器に張り、行平にならって間に合わせのチターに似た楽器を作ったと思われる。
この26行目の後に出てくる「須磨琴一」という合いの手が一弦琴の模倣であるが、筑前琵琶のそれを聞くのは興味深いことである。寂しくわびしい雰囲気を出さなければならないのは言うまでもない。普通、旋律を弾くにはよりきらびやかな音色の五の糸が用いられるが、本曲では落ち着いた音色の四の糸上で憂愁が表現される。旋律は低音で揺れ動いたのち、五の糸に落ち着く。
その後、27行目から28行目で歌われる和歌の後でまた別の合いの手が入る。今度の合いの手は「今様曲」と呼ばれる。もともと、今様は平安後期に流行した歌謡であったが、時代が下ると「今様曲」という語は「筑前今様」を指すようになった。「筑前今様」は「黒田節」とも呼ばれ、筑前の武士たちに好んで歌われていたが、「黒田節」の曲自体、宮廷音楽である雅楽の中で最もよく知られた「越天楽」を基としている。それがまさに国臣の王朝趣味を表すのにふさわしい音楽的な情景を生み出しているのである。
62行目以降でも和歌が歌われるが、その前にもう一度、合いの手が入る。これは「須磨琴二」と呼ばれる「一弦琴」の模倣であるが、ここでは、四の糸と五の糸で同音、三の糸でその5度下の音程という重音がかき鳴らされる。これらの3つの音が重なると琵琶の響きにいくばくかの古風な色合いが加わり、雅な雰囲気が醸し出されるのである。