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旅 の衣 は篠懸 の -
旅 の衣 は篠懸 の -
露 けき袖 やしおるらん -
こゝに
那智 の阿 闍 梨 -
東光坊の
祐慶 は -
心に立つる
願 ありて -
諸国 行脚 に赴 かんと -
分 け行く末は紀 の路 方 -
潮崎 の浦 さしすぎて -
日も
重 なれば程 もなく -
名にのみ聞こへし
陸奥 の - 安達が原に着きにけり
- 時しも秋の末つ方
- 日も早やいつか暮れはてぬ
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困 じ果てたる折しもあれ -
彼方 に見ゆる火の光 -
祐慶
喜 びたどり着き -
こは夜路に迷いし
旅僧 に候 -
あわれ
一 夜 の宿りをば -
許し給へと
乞 ひければ -
庵 りの中 より声ありて -
人里
遠 きこの野辺 の -
我れだにも
憂 き荒 庵 に -
いかでかお
留 め申さるべき -
とは云ふものゝ思へばお
痛 しや -
さらば
御 留 め申さんと -
戸を
開 けてぞ招 じける -
年老 いたる賤 が女 の -
情 けも深 き夜 もすがら -
糸 くる閨 のまあいより - 月もおぼろにさし入りて
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六 道 輪 廻 のいと車 - 昔を今になさばやと
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嘆 く様 こそ哀れなれ -
いつしか
夜 も更けゆきて -
吹く風いとゞ身にぞ
泌 む -
其 の時老 婆 の申すよう - いかに客僧どの
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あまり
夜 寒 にござりますれば -
山に
登 りて木を取 りて -
焚 火 をして進ぜませう程に - しばらく御待ち下されと
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出 で行 かんとする際 に
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若 し御僧 様 妾 の帰 り来 る迄 -
この
閨 のうちをば -
必ず
御 覧 ぜ下 さるなと -
言葉を残して立ち
出 る - さても不思議やな
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女人 の身にて此の夜更 け - 一人で山に入りしとはと
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不 審 の心に祐慶は -
見まじと誓いし
事乍 ら -
老 婆 の部屋 をうかゞへば -
あな恐ろしやこわ
如何 に -
死 骨 白骨 満 ち満 ちて -
軒 と等 しく積 みおかれ -
あたりに
死 臭 たゞよいて -
げに
凄 まじき有様なり - これぞまさしく音に聞く
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安達ヶ原の
黒塚 に -
籠 れる鬼の住家 なれ -
心 もまどひ肝を消 し - 足にまかせて逃げゆけば
- いかに客僧
- 止まれとこそ
-
さしもかくせし
閨 の内 - のぞき見たるか恨めしやと
- 怒れる声のすさまじく
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稲妻 辺 りに轟 けば -
空かき
曇 り風吹きて -
鬼 一口 に食 わんとて -
鉄 杖 振 りあげ襲 いければ -
祐慶
必死 の声はり上げ -
東方 に障 三世 明王 -
南方 軍 茶利 夜叉 と -
珠数 さらさらと押しもんで -
五 大明王 の威 徳 にかけ -
責め付け責め付け
祈 り伏 せば -
さしも
憤 怒 に狂 いたる -
鬼 女 も忽 ち弱り果て - あな恥かしの我が姿と
- いふ声なをも凄まじく
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夜 嵐 の音 に立ちまぎれ -
姿は
終 いに失せにけり - 姿は終いに失せにけり
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1.-12.
旅は何かとつらいもの
ころもも濡れてばかりいる
那智のやしろの阿闍梨さま
東光坊の祐慶は
心に願うことあって
諸国を行脚すると決め
歩いてゆくと紀伊の国
潮崎の浦とおり過ぎ
日もつみ重なってそのうちに
名のみ知られたみちのくの
安達が原にはや着いた -
13.-20.
時に晩秋日が暮れて
困り果てたその時に
向こうに何か火が見える
祐慶そこにたどり着き
「このわたくしは旅の僧
夜道に迷い困っています
どうかこちらで一晩なりと
お泊めいただけますまいか」 -
21.-27.
庵の中から聞こえる声
「人里離れたあばらやで
わたしもいやいや住んでいる
ましてお客を泊められようか
そうはいってもお気の毒
それではお泊めいたしましょう」
とびらを開けて呼び入れる -
28.-34.
あるじ老女の深情け
夜通し糸を繰りつむぐ
部屋にもれ入る月明かり
糸の車が回るのは
まるで六道めぐるよう
今を昔に戻したいと
嘆く姿はあわれである -
35.-47.
いつしか夜も更けてきて
吹く風ひどく身にしみる
その時老婆が申し出た
「さあさあお客のお坊様
夜があんまり寒いので
山に登って木を集め
焚火でぬくめてあげましょう
しばらくお待ち下さい」と
言って出て行くその時に
「もしお坊様わたくしが
帰ってくるまでこの部屋は
決して見てはなりません」
そう言い残し出て行った
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48.-53.
どうも不思議なことである
夜更けでしかも女の身
一人で山に向かうとは
疑う心で祐慶は
見ないと誓ったことなのに
部屋をのぞいて見てみると -
54.-61.
何とも恐ろしいことに
積み上げられた人の骨
軒の高さに届くほど
しかも死臭もただよって
身の毛もよだつその様子
これこそはあの有名な
安達が原の黒塚の
人食い鬼の家だった -
62.-70.
肝をつぶした祐慶が
足の限りに逃げ出すと
「そこの坊様待て止まれ
せっかく隠した部屋の中
のぞき見るとは恨めしい」
叫んだ声のものすごさ
折しも雷鳴なり響き
一天にわかにかき曇る -
71.-78.
鬼は一口に食う勢い
鉄杖振り上げ襲いくる
祐慶必死に声をあげ
「東のかたは障三世
南のかたは軍荼利」と
五大明王の名を唱え
珠数をさらさら押しもんで
明王の威徳によって
ひたすら責めて祈るうち -
79.-85.
あれほどいきり立っていた
鬼はみるみる弱りはて
「まあ恥ずかしいこの姿」と
声はやっぱりすごいけれど
嵐の音に紛れるうちに
姿はいつか消えていた