- 月やあらぬ
- 春や昔の春ならぬ
- 身の行末も白川の
-
館 の梅の夜 嵐に -
散り乱れたる
故郷 を - さまよひ出でし親心
-
子故の
闇 に迷ふらん -
さて梅若丸の母
御前 は -
我が子の
行方 尋ねわび -
心もいつか
狂乱 と - ならせ給ひて黒髪を
-
振り乱しつゝ
徒跣 -
東路 さしてぞ下らせらる -
花の都を
大 比 叡 の - 峰の白雲隔てつゝ
- 行きかふ人に近江路も
-
湖上の船の
梶 を絶え -
こがるゝ
児 には粟津野や -
畔 の野に鳴く田鶴 の声 -
なうなうこれなる
童 共 -
恋しき
若 を知らざるか -
如何 にそれなる道行人 - 我が子返させ給へやと
-
恨みつ泣きつ
旅 衣 - 武蔵のはての隅田川
- 渡りのほとりにつきてけり
- 波の糸筋引はへて
- 友打つれて遊べるは
- これや名におふ都鳥
- 向ふ岸辺に白雲と
- まがふばかりの桜花
- 咲き乱れたるあはひより
-
鉦鼓 の音 の聞ゆるは -
誰 がなきあとの供 養 ぞと -
渡 守 に言 問 へば -
春の日ながき
水 馴 棹 - さしも急がで物語る
-
さても
去年 三月十五日 -
人 商人 が稚子 一 人 -
つれて
此 の川渡りしが -
俄 かに病 さしおこり - 以ての外に苦しむを
- あの川岸にすておきて
-
商人 そこよりにげ去りぬ - されば里人あはれみて
- さまざまいたはり候へど
- たんだ弱りに弱りゆき
-
生命 も限りと見えし時 -
所 素性 を尋ねしに -
麿 は都の北白川 -
吉田の少将が
一 人 子 にて - 梅若丸と申す者
- 父におくれ母のみに
- 添ひまゐらせて候を
- 人商人にかどはされ
- かように成り果て候ひぬ
-
都の
方 より吹く風も - いとなつかしう候へば
-
此 の道のべに亡骸 を -
埋 めて上に一本 の - 柳を植えて給はれと
-
声
絶 え絶 えに云ひのこし - そのまゝ息は絶えにけり
-
今日 は其 の児の命日なれば -
里人共が
供 養 の為
-
唱 ふる念 仏 ときくよりも - なう渡守それこそは
- 尋ぬる我子にありけれと
-
言ひも終らで
船 底 に - 倒れ伏してぞ泣き給ふ
- 船人聞きて打驚き
- いたはりながら梅若の
-
塚の前へと
案内 する -
嗚呼 こはさても浅ましや -
せめて一
期 の情けには -
此 の墓土をほり返し -
ありし姿を今
一 度 -
妾 に見せて給はれと -
ひしと
卒塔婆 に取りつきて - 身も世もあらぬ狂ひ泣き
-
よその袖をも
濡 しけり - 里人共はとにかくと
-
回 向 をすゝめまゐらせしに -
母はなくなく打つ
鉦鼓 -
現 か夢か寂光 の - 浄土の底に響くらん
- 花より登る月の影
-
おぼろながらも
夜 念 仏 の - 声澄み渡る隅田川
- 心は西へと一筋に
-
南無や
西方 極楽世界 -
三十六万
億 同 名 - 同号阿弥陀仏
- 南無阿弥陀仏
- 南無阿弥陀仏
- 南無阿弥陀仏
- 南無阿弥陀仏
-
あら不思議やな
墓標 - 俄かに動きて土中より
- 次第にあがる声すごく
- 南無阿弥陀仏
-
なうなう今の
念 仏 の中 -
一 と声高くきこえしは - まさしく我子の声なるよと
-
死出の
田 長 のそれならで -
今
一 と声のきゝたさに - 南無阿弥陀仏と唱ふれば
-
春の
夜 風 はふけ行きて - 柳の髪も打乱れ
- 梅若丸の其の姿
-
現 の如くあらはれたり - 母は余りの嬉しさに
- すがりつかんとし給へば
- あなや糸ゆふ水の月
-
手にも
止 まらで悲しげに -
母よと
慕 ふ声ばかり - こなたも恋しき我子よと
- 互に呼ばう親と子を
-
うたてや五障の春
霞 - 立ち隔つるぞ哀れなる
-
水流レ花落ツレドモ春
長 ナエニ在リ -
風
冷 ジク月高ウシテ鶴帰ラズ -
斯 くて東雲 ほのぼのと -
あけてくやしき玉
櫛 笥 - ふたゝび見えぬ梅若の
-
姿は
千 歳 かへり来 ず -
かたみと残る
青柳 の - 千すぢの糸は春風に
-
恨 を永くひくなめり - 恨を永くひくなめり
-
1.-7.
月ははたしてどうだろう
春は昔のままなのか
先のことはわからない
白川館に咲く梅も
夜の嵐に散らされた
ふるさと離れ旅に出る
親の心は子供のために
闇に迷ってしまうもの -
8.-13.
梅若丸のお母上
わが子のゆくえがわからない
いつか心も乱れてしまい
髪ふり乱して裸足のまま
東に向かって歩き出す -
14.-19.
都は既に叡山の
雲のかなたに遠ざかる
人々ゆきかう近江の国
湖の船も梶がない
会いたいあの子に会わずに粟津
うね野に鶴が鳴いている -
20.-26.
ねえねえそこの子供たち
かわいいあの子を知らないか
そこを歩いているおかた
わが子を返して下さいと
恨みながら泣きながら
旅を続けて武蔵の国
隅田川のほとりにある
船の渡しにたどり着く -
27.-33.
細くて長い川の波
そこで仲間と遊ぶのは
あの有名な都鳥
向こう岸には白雲と
見間違えそうな桜の花が
乱れ咲きするその間から
鉦の音が聞こえてくる -
34.-37.
「いったいどなたが亡くなって
供養をなさっておられるか」
船頭に尋ねたところ
春の日長に馴れた棹
ゆっくり話をしてくれた -
38.-44.
「去年三月十五日
人買いが子供をひとり
連れてこの川を渡ったが
子供が急に病気になり
ひどく苦しみ出したので
川岸に捨てて人買いは
そこからそのまま逃げ去った -
45.-49.
そこで里人あわれんで
いろいろ看病したけれど
弱りに弱る子供の身
もうこれきりと見えたので
どこの誰だか尋ねたところ -
50.-56.
『わたしは都の北白川
吉田少将の一人息子
梅若丸と申します
お父様は早く亡くなり
お母様と暮らしていたが
人買いに連れさられ
こうなってしまいました -
57.-61.
都の方から吹く風さえ
懐かしく感じられます
わたしが死んだらこの道に
埋めてその上に一本の
柳を植えて下さい』と -
62.-66.
かすれた声で言い残し
そしてそのまま息絶えた
今日はその子の命日で
里人たちが供養のため
念仏唱えているのです」
-
67.-70.
そう聞いて母親は
「ああ船頭さんそれこそは
わたしが探しているあの子」と
言いも終わらず船底に
倒れこんで泣き叫ぶ -
71.-73.
聞いた船頭驚いて
いたわりながら梅若の
墓の前へとつれてゆく -
74.-78.
「ああこれは痛ましい
せめてものお願いです
この墓土を掘り返し
昔の姿をもう一度
わたしに見せて下さい」と -
79.-81.
卒塔婆にひしとしがみつき
あたりも気にせず泣き叫ぶ
まわりの人ももらい泣き -
82.-86.
里人たちは是非ともと
供養を勧めてくれるので
母は泣く泣く鉦を打つ
夢かうつつかその音は
極楽浄土に響くだろう -
87.-91.
花の咲いた上に出る
月はおぼろであるけれど
夜念仏の声は澄み
隅田の川に響きわたる
母の心は一筋に
向かう西方極楽浄土 -
92.-97.
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏 -
98.-101.
不思議なことに墓じるし
にわかに動いて土の中から
声が聞こえておそろしい -
102.-111.
のうのう今の念仏で
一際高く聞こえたのは
まさしくわが子の声だった
ほととぎすではないけれど
もう一度だけ聞きたいと
またも唱える南無阿弥陀仏
春の夜風が吹き過ぎて
柳の髪も乱れたところに
梅若丸のその姿
たしかにそこに現れた -
112.-116.
母はあまりの嬉しさに
すがりつこうとしたところ
かげろうか水面の月か
手ではつかめず母様と
悲しい声がするばかり -
117.-120.
こちらもかわいいわが子よと
互いに呼びあう母と子の
間をさえぎる春霞
あわれなことではあるまいか -
121.-122.
流れる川に花が散る
それでも春は変わらない
風は冷たく月高く照る
鶴は飛び去り帰らない -
123.-130.
やがて東の空もしらみ
明けてくやしい玉手箱
梅若丸のその姿
消えて再び返らない
形見に残る柳の葉
春の風になびくのは
ずっと恨みを残すのだろう