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sumidagawa

隅田川

解説

『伊勢物語』の第九段は「東下り」の段として知られる。主人公の「男」ははるばる東国へ旅をし、最後に武蔵の隅田川にたどり着く。川面に遊ぶ鳥の名を渡し船の船頭に尋ねたところ、「都鳥」と教えてくれたので、男は都のことを思い出す。
これを背景として、やがて隅田川を舞台とした吉田梅若伝説が創作される。その代表的な作品は観世元雅(1394?-1432)作の謡曲『隅田川』で、以下のような内容である。都の吉田某には十二歳の梅若という独り息子がいたが、人買いにさらわれてしまった。その母は狂い、わが子を求めてはるばる東へおもむく。隅田川に到着すると、対岸に多くの人が集まって念仏を唱えていた。渡し船の船頭に尋ねたところ、人買いにさらわれた子が病いに倒れてこの地に捨てられ、一年前の三月十五日に死んでしまった、今日は命日なので供養している、とのことである。その子はまさしく梅若であった。母はもう一度その姿を見たいと、塚の前で念仏を唱える。すると梅若の声が聞こえ、姿も見えたが、しかしそれは幻であった。
この伝説はやがて広く流布し、江戸時代には派生した浄瑠璃や歌舞伎が多く作られて「隅田川物」と呼ばれる作品群を形成した。明治期にも謡曲『隅田川』に基づいた舞踊作品が作られており、条野採菊(1832-1902)の作詩した清元『隅田川』(明治十六年)は特に名高い。

参考文献

横道萬里雄・表章校注『謡曲集 上』(日本古典文学大系) 岩波書店 1960
渡辺実校注『伊勢物語』(新潮日本古典集成) 新潮社 1976
伊藤正義校注『謡曲集 中』(新潮日本古典集成) 新潮社 1986
伊藤正義『謡曲雑記』(和泉選書) 和泉書院 1989
西野春雄校注『謡曲百番』(新日本古典文学大系) 岩波書店 1998
浅川玉兎『長唄名曲要説』『続長唄名曲要説』 2001(改訂初版)
『伝統芸能シリーズ 日本舞踊曲集成 歌舞伎舞踊編』(別冊演劇界) 演劇出版社 2004

あらすじ

都は北白川に住む梅若丸の母親は、人さらいにあった子どもを思うあまり気が狂ってしまった。さらわれた子を求め、髪を乱し裸足のままさまよううちに東国へ向けて歩き始めた。比叡を越え、近江も過ぎ、行く先々でその消息を尋ね歩き、いつしか武蔵の国、隅田川にたどり着いた。川の渡しに来ると、人々が打ち鳴らす鉦の音が聞こえてきた。何をしているのか尋ねると、さらわれた子どもが一年前にそこで病のために亡くなり、その回向をするのだという。子どもは、京は吉田少将の息子、梅若丸と名乗り、死んだらそこに柳の木を植えてほしいと言い残し息絶えたという。母は驚いた。これこそ、探し求めた梅若丸。卒塔婆に取りすがり、泣き叫んでいたが、供養を勧められ念仏を唱えるうち、墓から梅若の声が聞こえてきた。もう一度聞こうとさらに念仏を唱えるとおぼろげに梅若の姿が現れた。うれしさのあまりすがりつこうとしたがつかむことができず、声が聞こえるばかり。梅若、母様と互いに呼びあう声も春霞に遮られ、次第に夜も明けてふたたび梅若の姿を見ることはできなかった。

『能楽図絵』より「隅田川」(月岡耕漁 画)

  • 詞章
  • 現代語訳
  1. 月やあらぬ
  2. 春や昔の春ならぬ
  3. 身の行末も白川の
  4. やかた の梅の 嵐に
  5. 散り乱れたる 故郷 ふるさと
  6. さまよひ出でし親心
  7. 子故の やみ に迷ふらん
  8. さて梅若丸の母 御前 ごぜ
  9. 我が子の 行方 ゆくえ 尋ねわび
  10. 心もいつか 狂乱 きょうらん
  11. ならせ給ひて黒髪を
  12. 振り乱しつゝ 徒跣 かちはだし
  13. 東路 あづまじ さしてぞ下らせらる
  14. 花の都を オオ エイ
  15. 峰の白雲隔てつゝ
  16. 行きかふ人に近江路も
  17. 湖上の船の かじ を絶え
  18. こがるゝ には粟津野や
  19. うね の野に鳴く 田鶴 たづ の声
  20. なうなうこれなる わらべ
  21. 恋しき わか を知らざるか
  22. 如何 イカ にそれなる 道行人 みちゆきびと
  23. 我が子返させ給へやと
  24. 恨みつ泣きつ たび
  25. 武蔵のはての隅田川
  26. 渡りのほとりにつきてけり
  27. 波の糸筋引はへて
  28. 友打つれて遊べるは
  29. これや名におふ都鳥
  30. 向ふ岸辺に白雲と
  31. まがふばかりの桜花
  32. 咲き乱れたるあはひより
  33. 鉦鼓 しょうこ おと の聞ゆるは
  34. がなきあとの よう ぞと
  35. わたし もり こと へば
  36. 春の日ながき なれ ざを
  37. さしも急がで物語る
  38. さても 去年 こぞ 三月十五日
  39. ひと 商人 あきうど 稚子 ちご ヒト
  40. つれて の川渡りしが
  41. ニワ かに やまい さしおこり
  42. 以ての外に苦しむを
  43. あの川岸にすておきて
  44. 商人 あきうど そこよりにげ去りぬ
  45. されば里人あはれみて
  46. さまざまいたはり候へど
  47. たんだ弱りに弱りゆき
  48. 生命 いのち も限りと見えし時
  49. ところ 素性 すじょう を尋ねしに
  50. 麿 マロ は都の北白川
  51. 吉田の少将が ヒト にて
  52. 梅若丸と申す者
  53. 父におくれ母のみに
  54. 添ひまゐらせて候を
  55. 人商人にかどはされ
  56. かように成り果て候ひぬ
  57. 都の かた より吹く風も
  58. いとなつかしう候へば
  59. の道のべに 亡骸 なきがら
  60. うづ めて上に 一本 ひともと
  61. 柳を植えて給はれと
  62. えに云ひのこし
  63. そのまゝ息は絶えにけり
  64. 今日 きょう の児の命日なれば
  65. 里人共がようの為
  1. との ふる ぶつ ときくよりも
  2. なう渡守それこそは
  3. 尋ぬる我子にありけれと
  4. 言ひも終らで ふな ゾコ
  5. 倒れ伏してぞ泣き給ふ
  6. 船人聞きて打驚き
  7. いたはりながら梅若の
  8. 塚の前へと 案内 あない する
  9. 嗚呼 アア こはさても浅ましや
  10. せめて一 の情けには
  11. の墓土をほり返し
  12. ありし姿を今 いち
  13. ワラワ に見せて給はれと
  14. ひしと 卒塔婆 そとば に取りつきて
  15. 身も世もあらぬ狂ひ泣き
  16. よその袖をも ぬら しけり
  17. 里人共はとにかくと
  18. こう をすゝめまゐらせしに
  19. 母はなくなく打つ 鉦鼓 ショウコ
  20. うつゝ か夢か 寂光 じゃっこう
  21. 浄土の底に響くらん
  22. 花より登る月の影
  23. おぼろながらも ぶつ
  24. 声澄み渡る隅田川
  25. 心は西へと一筋に
  26. 南無や 西方 さいほう 極楽世界
  27. 三十六万 おく どう みょう
  28. 同号阿弥陀仏
  29. 南無阿弥陀仏
  30. 南無阿弥陀仏
  31. 南無阿弥陀仏
  32. 南無阿弥陀仏
  33. あら不思議やな 墓標 はかじるし
  34. 俄かに動きて土中より
  35. 次第にあがる声すごく
  36. 南無阿弥陀仏
  37. なうなう今の ぶつ うち
  38. と声高くきこえしは
  39. まさしく我子の声なるよと
  40. 死出の おさ のそれならで
  41. と声のきゝたさに
  42. 南無阿弥陀仏と唱ふれば
  43. 春の かぜ はふけ行きて
  44. 柳の髪も打乱れ
  45. 梅若丸の其の姿
  46. うつゝ の如くあらはれたり
  47. 母は余りの嬉しさに
  48. すがりつかんとし給へば
  49. あなや糸ゆふ水の月
  50. 手にも まらで悲しげに
  51. 母よと した ふ声ばかり
  52. こなたも恋しき我子よと
  53. 互に呼ばう親と子を
  54. うたてや五障の春 がすみ
  55. 立ち隔つるぞ哀れなる
  56. 水流レ花落ツレドモ春 とこし ナエニ在リ
  57. すさま ジク月高ウシテ鶴帰ラズ
  58. くて 東雲 しののめ ほのぼのと
  59. あけてくやしき玉 くし
  60. ふたゝび見えぬ梅若の
  61. 姿は とせ かへり
  62. かたみと残る 青柳 あをやぎ
  63. 千すぢの糸は春風に
  64. うらみ を永くひくなめり
  65. 恨を永くひくなめり
  • 1.-7.

    月ははたしてどうだろう
    春は昔のままなのか
    先のことはわからない
    白川館に咲く梅も
    夜の嵐に散らされた
    ふるさと離れ旅に出る
    親の心は子供のために
    闇に迷ってしまうもの

  • 8.-13.

    梅若丸のお母上
    わが子のゆくえがわからない
    いつか心も乱れてしまい
    髪ふり乱して裸足のまま
    東に向かって歩き出す

  • 14.-19.

    都は既に叡山の
    雲のかなたに遠ざかる
    人々ゆきかう近江の国
    湖の船も梶がない
    会いたいあの子に会わずに粟津
    うね野に鶴が鳴いている

  • 20.-26.

    ねえねえそこの子供たち
    かわいいあの子を知らないか
    そこを歩いているおかた
    わが子を返して下さいと
    恨みながら泣きながら
    旅を続けて武蔵の国
    隅田川のほとりにある
    船の渡しにたどり着く

  • 27.-33.

    細くて長い川の波
    そこで仲間と遊ぶのは
    あの有名な都鳥
    向こう岸には白雲と
    見間違えそうな桜の花が
    乱れ咲きするその間から
    鉦の音が聞こえてくる

  • 34.-37.

    「いったいどなたが亡くなって
    供養をなさっておられるか」
    船頭に尋ねたところ
    春の日長に馴れた棹
    ゆっくり話をしてくれた

  • 38.-44.

    「去年三月十五日
    人買いが子供をひとり
    連れてこの川を渡ったが
    子供が急に病気になり
    ひどく苦しみ出したので
    川岸に捨てて人買いは
    そこからそのまま逃げ去った

  • 45.-49.

    そこで里人あわれんで
    いろいろ看病したけれど
    弱りに弱る子供の身
    もうこれきりと見えたので
    どこの誰だか尋ねたところ

  • 50.-56.

    『わたしは都の北白川
    吉田少将の一人息子
    梅若丸と申します
    お父様は早く亡くなり
    お母様と暮らしていたが
    人買いに連れさられ
    こうなってしまいました

  • 57.-61.

    都の方から吹く風さえ
    懐かしく感じられます
    わたしが死んだらこの道に
    埋めてその上に一本の
    柳を植えて下さい』と

  • 62.-66.

    かすれた声で言い残し
    そしてそのまま息絶えた
    今日はその子の命日で
    里人たちが供養のため
    念仏唱えているのです」

  • 67.-70.

    そう聞いて母親は
    「ああ船頭さんそれこそは
    わたしが探しているあの子」と
    言いも終わらず船底に
    倒れこんで泣き叫ぶ

  • 71.-73.

    聞いた船頭驚いて
    いたわりながら梅若の
    墓の前へとつれてゆく

  • 74.-78.

    「ああこれは痛ましい
    せめてものお願いです
    この墓土を掘り返し
    昔の姿をもう一度
    わたしに見せて下さい」と

  • 79.-81.

    卒塔婆にひしとしがみつき
    あたりも気にせず泣き叫ぶ
    まわりの人ももらい泣き

  • 82.-86.

    里人たちは是非ともと
    供養を勧めてくれるので
    母は泣く泣く鉦を打つ
    夢かうつつかその音は
    極楽浄土に響くだろう

  • 87.-91.

    花の咲いた上に出る
    月はおぼろであるけれど
    夜念仏の声は澄み
    隅田の川に響きわたる
    母の心は一筋に
    向かう西方極楽浄土

  • 92.-97.

    南無阿弥陀仏
    南無阿弥陀仏
    南無阿弥陀仏
    南無阿弥陀仏

  • 98.-101.

    不思議なことに墓じるし
    にわかに動いて土の中から
    声が聞こえておそろしい

  • 102.-111.

    のうのう今の念仏で
    一際高く聞こえたのは
    まさしくわが子の声だった
    ほととぎすではないけれど
    もう一度だけ聞きたいと
    またも唱える南無阿弥陀仏
    春の夜風が吹き過ぎて
    柳の髪も乱れたところに
    梅若丸のその姿
    たしかにそこに現れた

  • 112.-116.

    母はあまりの嬉しさに
    すがりつこうとしたところ
    かげろうか水面の月か
    手ではつかめず母様と
    悲しい声がするばかり

  • 117.-120.

    こちらもかわいいわが子よと
    互いに呼びあう母と子の
    間をさえぎる春霞
    あわれなことではあるまいか

  • 121.-122.

    流れる川に花が散る
    それでも春は変わらない
    風は冷たく月高く照る
    鶴は飛び去り帰らない

  • 123.-130.

    やがて東の空もしらみ
    明けてくやしい玉手箱
    梅若丸のその姿
    消えて再び返らない
    形見に残る柳の葉
    春の風になびくのは
    ずっと恨みを残すのだろう

注釈

1.-2. 月やあらぬ春や昔の春ならぬ…『伊勢物語』の和歌「月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして」の上の句。古来解釈に諸説がある。3. 白川…「行く末も知らず」と地名「白川」の懸詞。白川は京都東部。謡曲『隅田川』に「是は都北白川に年経て住める女なるが」。7. 子故の闇…人の親は子を強く思うあまり道理に暗くなり心を迷わせることの例え。謡曲『隅田川』に「人の親の心は闇にあらねども、子を思ふ道に迷ふとは」。16. 人に近江路も…「人に会ふ」と「近江(あふみ)」の懸詞。17. 梶を絶え…船を操る梶がなく。18. 児には粟津野や…「児には会はず」と「粟津野」の懸詞。粟津は地名、現滋賀県大津市。19,1. 畔の野…地名。現滋賀県近江八幡市。19,2. 田鶴…鶴。なお以上の表現は、『太平記』俊基東下りの一節「行きかふ人に近江路や、世をうねの野に鳴く鶴も、子を思ふかとあはれなり」に拠る。25. 隅田川…現在の東京都東部を流れて東京湾に注ぐ川。『伊勢物語』では武蔵と下総の国境とされている。27. 波の糸筋引はへて…波が糸のように細長くのびて。29. 名におふ…有名な。33. 鉦鼓…勤行の時などに打ち鳴らす鉦。34.誰がなきあとの供養ぞ…誰が亡くなって、供養をしているのか。35.言問へば…『伊勢物語』第九段の和歌「名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」を踏まえる。36. 水馴棹…使い馴れて水になじんだ棹。38. さても去年三月十五日…謡曲『隅田川』に「さても去年三月十五日」。39. 人商人…人買い。当時の日本では人身売買が横行しており、身寄りの者がさらわれる悲劇が文学作品に描かれることも多い。47. たんだ弱りに弱りゆき…謡曲『隅田川』に「たんだ弱りに弱り」。「たんだ」は「ただ」を強めた形。48. 生命も限り…もう長く生きてはいないだろう。50. 麿は都の北白川…謡曲『隅田川』に「我は都北白川に、吉田の某と申しし人の唯独り子にて候が」。51. 吉田の少将…梅若丸の父の名は謡曲では「吉田の某」だが、江戸時代の仮名草子『角田川物語』など後の作品では「吉田の少将」とされることが多い。53. 父におくれ…父親が早く亡くなってしまい。謡曲『隅田川』に「父には後れ母ばかりに添ひ参らせ候ひしを」。55. かどはされ…「かどわかされ」に同じ。誘拐されて。謡曲『隅田川』に「人商人に拐はされて、かやうに成りゆき候」。57. 都の方より…謡曲『隅田川』に「都の人の足手影も懐かしう候へば」。59. 此の道のべに…謡曲『隅田川』に「此道のほとりに築きこめて、しるしに柳を植ゑてたまはれ」。75. 一期の情け…一生のお願い。76. 此の墓土をほり返し…謡曲『隅田川』に「此土を返して今一度、この世の姿を母に見せさせ給へや」。78. 妾…わらわ。自称。79.卒塔婆…墓の周辺に供養のために建てる木製の板や柱。80. 身も世もあらぬ…自分のことも世間のことも考えていられないほど。83. 回向…僧侶の読経などによって故人の冥福を祈ること。85.-86. 寂光の浄土…極楽浄土。智慧の光が輝く仏の住む世界。88. 夜念仏…夜に唱える念仏。90. 心は西へと一筋に…謡曲『隅田川』に「心は西へと一すぢに」。91. 南無や西方極楽世界…念仏を唱える際の詞。西方の極楽には三十六万億の世界があり、それぞれに同号同名の阿弥陀仏がいる意。謡曲『隅田川』に「南無や西方極楽世界、三十六万億、同号同名阿弥陀仏」。98. 墓標…墓の上に目印として立てた木や石。100. すごく…不気味で恐ろしく。105. 死出の田長…ほととぎすの異称。109. 柳の髪…女性の長く美しい髪を柳に例えた表現だが、ここでは柳の葉もともに乱れているのであろう。114. 糸ゆふ…かげろう。はかなく不確かなものの例え。118. 呼ばう…声を出して呼ぶ。119,1. うたてや…残念なことに。119,2. 五障…女性が成仏することを妨げる五つの障害。月の光をさえぎる霞に例えられる。121.-122. 水流レ花落ツレドモ春長ナエニ在リ風冷ジク月高ウシテ鶴帰ラズ…謡曲『桜川』に「水流花落ちて春とこしなへにあり、月すさましく風高うして鶴帰らず」とあるのに拠る。『桜川』は子が人買いに買われ母が狂乱するという内容で、『隅田川』と類似する。123. 東雲…夜明けに東の空が白むころ。124. 玉櫛笥…美しい箱。129. ひくなめり…引くのであろう。

隅田川(東京都)

音楽ノート

130行からなる本曲は琵琶の演目のなかでもかなり長いほうに入る。演奏には30分以上を要する。舞台で演奏されることはあまりないが、それにはさまざまな理由がある。音色が繊細な筑前琵琶の演奏者に女性が多いことも理由の一つであろう。琵琶の演目には悲しい物語がたくさんあるが、多くの場合悲劇の主人公は男性である。ところが、本曲は数少ない女性を主人公とした曲で、痛ましい母親の物語である。息子を探し求めて訪ね歩き、一瞬の邂逅ののち、二度と相まみえることのできなかった母親にややもすると感情移入しがちであるため、女性奏者にとって冷静に演奏するのはあまりにも辛いのかもしれない。(とはいえ、1980年代後半に本曲を得意とする北海道出身の女性琵琶奏者がいた。彼女は他の曲はほとんど演奏しなかったという。この曲への取り組みかたが他の曲の場合と違っていることから、悲劇的な筋書きに結びつく個人的な経験があったことと思われる。)
舞台で演奏されることが稀な理由はほかにもある。本曲のどこにも語りや演奏の派手な技巧を見せる部分がないため、曲の細部をおろそかにせず、終始、抑えた調子で演奏しなければならないこともその一つである。深い悲しみを音楽的に表現し続けるのは演奏者にとって困難をともなう。それゆえ、技巧的な場面がないため技術的に低いレベルでもよいということにはならない。とくに語りで難しいのは91行目から始まる一節で、人々が回向を始め、「南無阿弥陀仏」の念仏が4回繰り返される場面である。ここでは実際に念仏を唱えるような語りが要求されている。

『能楽図絵』より「隅田川」(月岡耕漁 画)

念仏の模倣は、この場面のために作曲された97行目以降の合いの手にまで続く。その合いの手は、弦を高い音域で耳に障るほど強く打つ「強-弱-強-弱」拍で始まる。この音は僧が念仏とともに打ち鳴らす鉦(摺り鉦)を模倣したものでなければならない。琵琶が鉦の音をまねることに初めはやや驚くかもしれないが、しばらくするとやさしく温かい雰囲気に変わる。この合いの手を合図に、現実にはありえない超常的な母と子の巡り合いという場面が始まるが、感受性豊かな演奏が要求されるところである。
最高潮に達するのは、亡くなった息子が母親の前に幻影となって現れる場面である。ここで山崎師は、舞台の上だけだが「乙崩六(おつのくずれろく)と呼ばれる「セメ」の合いの手を力強く激しく弾いて、亡き息子に一目だけでも会いたいという心のうちの闘いを表現することもあった。(しかし、普段の稽古では逆にこの合いの手に指示されている解放弦の響きを利用して怪異的な効果を出すよう指導していた。)5度離れた2本の解放弦を交互に何度もゆっくりと撥で叩く音は「梓弓」を想起させる。「梓弓」とは巫女などが神事で用いるいわゆる「楽弓」のことで、神事では、弓に張られた弦(つる)をリズミカルに一定の時間叩くのである。死者の霊を招くという呪術的性格を帯びた場面において、戦いの場面に用いられる「乙崩六」をあたかも「梓弓」のごとくに演奏するのは、まさに楽器を知り尽くした者のみに可能な技法と言えよう。