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屋島

解説

元暦二(文治元)年二月十八日(西暦1185年3月21日)、源義経(1159-1189)に率いられた源氏の軍勢は平家が陣取っていた四国屋島を急襲し勝利をおさめた。いわゆる屋島の合戦で、その折の様々な逸話が『平家物語』諸本に載る。江戸時代に広く流布した『源平盛衰記』は『平家物語』諸本の一つであるが、以下の注釈にも示したように本曲は、人名や地名が『盛衰記』と一致する場合がある。他にこの合戦に取材した作品として、謡曲『八島』がある。また義経の郎等であった佐藤継信がこの合戦で討ち死にしているが、それを主題とした作品に幸若舞曲『八島』がある。
本曲を作詞した逵邑玉蘭(つじむら・ぎょくらん)は本名容吉、工学士として海軍呉鎮守府建築部長などを歴任した。明治三十二年頃、矢野義徹の紹介で橘智定(初代旭翁)と知り合い、以来多数の琵琶曲を作詞した。旅先で創作することが多かったという。

参考文献

冨倉徳次郎『平家物語全注釈』 角川書店 1966~1968
高橋富雄『義経伝説』(中公新書) 中央公論社 1966
長野甞一『平家物語の鑑賞と批評』 明治書院 1975
北川忠彦『軍記物語考』(三弥井選書) 三弥井書店 1989
梶原正昭・山下宏明校注『平家物語』(新日本古典文学大系) 岩波書店 1991~1993
市古貞次ほか校注『源平盛衰記』(中世の文学) 三弥井書店 1991~
梶原正昭『古典講読シリーズ 平家物語』(岩波セミナーブックス) 岩波書店 1992
市古貞次校注『平家物語2』(新編日本古典文学全集) 小学館 1994
佐伯真一『物語の舞台を歩く 平家物語』 山川出版社 2005
志村有弘編『源義経 謎と怪奇』 勉誠出版 2005
菱沼一憲『源義経の合戦と戦略』(角川選書) 角川書店 2005
福田豊彦・関幸彦編『源平合戦事典』 吉川弘文館 2006
大津雄一ほか編『平家物語大事典』 東京書籍 2010

あらすじ

源義経は、讃岐の屋島を占拠する平氏を滅ぼすため、文治元年の春、兵を率いて都を出発し、苦難の末、わずか150騎でもって阿波の牟礼の浜に着いた。時まさに引き潮で海を渡るに絶好の時だと知って、すぐさま屋島へと馬で渡った。何も知らぬ平家は源氏が来たとの知らせにあわてふためき、安徳帝と母君を船に乗せ沖に漕ぎだした。源氏が追いつき将たちが名乗りを上げる間に仮の御所に火が放たれ、御所はまたたくうちに焼け落ちた。その様子を船の上から見ていた平宗盛は平教経に陸に上って源氏と戦えと命じ、浜辺は矢の応酬となった。そのうち教経が義経めがけて放った矢は、主を守ろうと飛び出した継信の身を貫き、継信は落馬した。それを見た教経の小姓、菊王丸が継信の首をとろうと駆け寄ったところを継信の弟、忠信が射止め、菊王丸は死ぬ。教経は菊王丸の死を悲しみ、戦意が失せてしまう。深手を負った継信を義経は、源氏の世になれば重用すると励ますが、継信は主のために命を捧げるのは本望だと言いつつ息絶える。義経は深く悲しみ、愛馬を僧に与えて継信を手厚く弔うよう命じる。それを見た臣下は、いよいよ情けの厚い主のために命を捧げる覚悟を強くするのであった。

『屋島の戦い』(歌川国貞 画)

  • 詞章
  • 現代語訳
  1. 検非違使 けびいし じやう みなもとの よし つね
  2. 讃岐 さぬき しま せん きょ する
  3. 平族 へいぞく せん めつ せずんば
  4. ふたた わう じゃう まずと
  5. ゐん しょ そう じょう たてまつ
  6. ぶん ぐわん ねん 如月 きさらぎ 中旬 なかば
  7. 三万余騎を 引率 いんそつ
  8. せっ 福島 ふくしま キタ りしに
  9. 暴風 ぼうふう にわか おこ かい ぢゃく しきり さけ
  10. がう の義経物ともせず
  11. わずか に百五十騎を したが へて
  12. 阿波 あはの くに 八間 やちま うら に渡りけり
  13. 浦曲 うらは につゞく をか
  14. 赤旗 あかはた 四五 りう 見えければ
  15. アレ 蹴散 けち らせと 下知 げぢ した
  16. 勇みに勇む あら こま
  17. ひづめ にちらふ 桜間 さくらま 良連 よしつら
  18. たゞ ひと あて に落ちてけり
  19. 幸先 さいさき よしぞ いそ げやと
  20. 中山 なかやま こえて ひき うら
  21. 志度 しど の港を 右手 めて に見て
  22. はやくもこゝへ ごほり
  23. 牟礼 むれ はま 押寄 おしよせ けり
  24. やがて義経 うり ざん のぼ
  25. 屋島の かた なが めつゝ
  26. 土地 案内 あんない まね
  27. やよ ちか いへ 彼方 かなた いり
  28. 馬にて渡られなんや
  29. ふね ならでは かよ はれまじきやと
  30. づか はしげに問ひ給ふ
  31. さん ゾウロウ かしこは しほ の引きたる時
  32. 太腹 ふとばら もつかり候はず
  33. 今日 けふ は十九日今は ひつじ こく
  34. しほ さか りにて候と
  35. ゆび さしながら こた へける
  36. 時しもあれや あか うし
  37. 何に心を引かれてや
  38. 牟礼 むれ はま より海に
  39. 屋島をさして渡りゆく
  40. 義経 ざとくキッと
  41. あれこそ 八幡 ハチマン おん みちびき なるぞ
  42. いざ敵のさとらぬ
  43. く渡れやと 大音声 ダイオンジョウ
  44. 第一番に しろ くわん じゃ 信綱 のぶつな
  45. 第二番には とう べう さね もと
  46. つゞ いて かま とう 光政 みつまさ
  47. よど かう ない ただ とし
  48. いづれも一騎当千の 猛者 もさ
  49. 馬を海中に って入り
  50. 勢ひ鋭く 突進 とっしん
  51. かゝるべしとも つゆ らで
  52. 平家の大将 むね もり
  53. 伊予の かち いくさ に打取れる
  54. 首実検 くびじっけん しつゝありしに
  55. 源氏の大軍押寄せたりと
  56. くわ きう ちう しん おどろ きあはて
  57. いそぎ だい いた
  58. せん てい にょ ゐん まゐ らせ
  59. とり められては一大事と
  60. 味方を うなが し船に乗り
  61. おき かた へと でけり
  62. 折しも 此処 こゝ へ源氏の 軍勢 ぐんぜい
  63. 驀然 まっしぐら せ来り
  64. 馬を なぎさ に立て寄せて
  65. 義経始め将士の面々
  66. 逐次 しだい のり げたりけり
  67. 此時 とう べう さね もと
  68. サッと其場を せ抜けて
  69. だい に入りて火を放てば
  70. まう まう たる こく ゑん おほ
  71. 炎々たる こう 焔天 えんてん こが
  72. さしもの だい 瞬間 ときのま
  73. あはれ とぞなりにける
  74. むね もり 源氏の ぐん うち なが
  75. 敵は おも ひしよりも ぜい なり
  76. 能登 のと 殿 どの おは さずや
  77. くが に近づき一戦し給へと
  78. いはれて 教経 のりつね いう もなく
  79. うけたまは りぬと つゝ あが
  1. 二百余人を ひき れて
  2. 総門 そうもん まへ みぎは こぎ
  3. いっ せい に矢を放つ
  4. 源氏も おう じて矢を放ち
  5. さけ び天地に ひゞ きたり
  6. やがて のり つね 陣頭 ぢんとう
  7. 義経 目指 めざ して らんとす
  8. 源氏の 将士 しゃうし かくと見て
  9. 馬のかしらを立て なら
  10. 君の馬前に立ちふさがる
  11. 教経 のりつね 声をあらゝげて
  12. そこのかずや ざう にん ばら
  13. かねて聞ゆる がう きう にて
  14. つぎ ばや かければ
  15. 源氏の勇士三四人
  16. いた ひて ひき 退 しりぞ
  17. その じゃう また いっ
  18. あはや義経に めい ちう せんとす
  19. とう つぎ のぶ 横合 よこあい より
  20. おど らして立ち おお へば
  21. たちま 左手 ゆんで かた より 右手 めて わき
  22. ズカリとばかり つらぬ かれ
  23. 真逆 まっさか さま に馬より
  24. 教経 のりつね わらは きく わう まる
  25. 船よりひらりと飛んで下り
  26. つぎ のぶ くび かゝ んとするを
  27. つぎ のぶ おとうと たゞ のぶ
  28. はるか みと たを
  29. さすが がう まい 教経 のりつね
  30. きく わう まる せん あはれ
  31. いま たたか いう
  32. しう ぜん として ひき げけり
  33. さる ほど とう たゞ のぶ
  34. つぎ のぶ いだ
  35. 君の ぜん ひざまづ けば
  36. 義経馬より飛び下りて
  37. つぎ のぶ かしら ひざ
  38. いかに三郎汝の如き ごう もの
  39. きず 一つにかくまでに
  40. なや おとろ ふる こと やあると
  41. はげ ますべくも おオ せければ
  42. つぎ のぶ わづ かに かしら をあげ
  43. 故郷 ふるさと いづ ソノ 時より
  44. 一命は君に さゝ たてまつ りぬ
  45. 御命 おんいのち かは せんこと
  46. 日頃の 本望 ほんもう にて候へ
  47. たゞ君の平家を 討滅 うちほろぼ
  48. 御代 みよ に立たせ給ふを見ぬこそ
  49. のこ おし う候へと
  50. やうや かた りて らく るい すれば
  51. 義経も なみだ むせ び給ひしが
  52. やゝありて つぎ のぶ うち むか
  53. 吾等の平家を ほろぼ さん事
  54. 旬日 じゅんじつ うち ぎざるべし
  55. われ らば汝兄弟を
  56. いう に立てんと思ひしに
  57. 今汝に永く別るゝは
  58. 返す返すも無念やと
  59. のたまふ声の聞えてや
  60. つぎ のぶ うれ しげに 首肯 うなづ きつ
  61. 其儘 そのまま 呼吸 いき たへ にけり
  62. 義経 痛悼 つうとう 哀惜 あいせき
  63. おの あい 太夫 たゆう ぐろ
  64. 金覆 きんぷく りん くら をおき
  65. つぎ のぶ 冥福 めいふく のため
  66. そう おく りて ねんごろ とむら はせければ
  67. 忠信始め なみ る将卒
  68. いづれも深く 感激 かんげき
  69. 嗚呼 あゝ コノ キミ 御為 おんため には
  70. 一命何か おし かるべきと
  71. 只管 ひたすら 心に ちか ひける
  72. かゝる名将忠臣の
  73. 合戦 いくさ がた りは いく 千代 ちよ
  74. ふる高松の 夕風 ゆうかぜ
  75. つた へて のち くに たみ
  76. をしへ ぐさ ともなりかぶら
  77. ひゞき そら きこ えつゝ
  78. しま うら にのこるらん
  79. しま の浦に のこ るらん
  • 1.-5.

    判官源義経は
    讃岐屋島に陣を取る
    平家を滅ぼさない限り
    再び都に帰らぬと
    法皇様に申し上げ

  • 6.-12.

    文治元年二月のなかば
    三万の軍勢を引き連れて
    摂津福島に来たところ
    嵐が吹いて荒れる海
    気にもとめずに義経は
    百五十騎を従えて
    阿波の八間に渡りつく

  • 13.-18.

    浦から続く丘の上
    敵の赤旗見えたので
    「あれ蹴散らせ」と命ずると
    勇んで駆ける荒馬の
    勢い恐れた桜間良連
    すたこらと逃げていった

  • 19.-23.

    「幸先よいぞ急げや」と
    中山越えて引田浦
    志度の港を右に見て
    早くも来たのは木田郡
    牟礼の浜辺に押し寄せた

  • 24.-30.

    瓜生山に登った義経
    屋島の方を眺めながら
    地元の武士を呼び寄せて
    「親家よあの入り江は
    馬でも渡って行けるのか
    船でなくては行けぬか」と
    気になる様子で聞いてみた

  • 31.-34.

    「あそこの潮は引いた時
    馬の腹よりもっと下
    今は十九日の昼間
    いちばん引いている時です」と
    指さしながら答えてくれた

  • 35.-39.

    ちょうどその時赤牛が
    何に心を引かれたか
    牟礼の浜から海にはいり
    屋島目指して歩き出す

  • 40.-50.

    それをめざとく見つけた義経
    「八幡様のお導き
    敵の気づかぬそのうちに
    急いで渡れ」と大号令
    田代信綱 後藤実基
    鎌田藤次に淀の河内
    一騎当千の猛者たちが
    馬を進めて海の中
    勢いつけて突進する

  • 51.-61.

    そんなこととは知らないで
    平家の大将宗盛は
    伊予のいくさで取った首
    並べて実検していたが
    「源氏の軍が押寄せた」と
    火急の知らせに驚いて
    屋島の御所に駆け込むと
    みかどと女院をお連れして
    「取り囲まれては大変」と
    味方を促し船に乗り
    沖の方へと漕ぎ出した

  • 62.-66.

    そこに源氏の軍勢が
    まっしぐらにやって来て
    馬を渚に並べると
    義経はじめ武士たちが
    次々に名乗りを上げた

  • 67.-73.

    この時後藤実基は
    サッとその場を駆け抜けて
    御所に入りこみ火を放つ
    黒い煙が地を覆い
    赤い炎が天をこがす
    さしもの御所もまたたくうちに
    跡形もなく燃え尽きた

  • 74.-77.

    宗盛は源氏をながめ
    「敵は意外に少ないぞ
    教経殿はおられぬか
    陸に近づき戦え」と

  • 78.-84.

    言われてすぐに教経は
    「承知した」と立ち上がり
    二百人を引き連れて
    船を総門前に寄せ
    みな一斉に矢を放つ
    源氏も応じて矢を放ち
    叫び声は天地に響く

  • 85.-95.

    教経は最前線
    義経をねらって射る
    源氏の武士たちそれを見て
    馬を並べて御前をふさぐ
    教経は声あららげ
    「そこをどかぬか雑兵ども」と
    かねて知られた強い弓
    矢継ぎ早に射かけたところ
    源氏の勇士が三四人
    深手を負ってしりぞいた

  • 96.-102.

    この機に乗じて教経が
    またも射た矢は義経に
    命中するかと見えたその時
    横合から佐藤継信
    身をおどらせて主君をかばうと
    左の肩から右の脇まで
    ぐっさりと貫かれ
    馬から落ちてまっさかさま

  • 103.-107.

    教経に仕える菊王丸
    船からひらりと飛び降りて
    継信の首を取りに来たが
    遠くで見ていた弟忠信
    菊王丸を矢で射抜いた

  • 108.-111.

    さすが強気の教経も
    菊王丸を哀れんで
    すでに戦う気持ちも弱り
    悲しみながら去ってゆく

  • 112.-120.

    そうして佐藤忠信が
    兄の体をかきいだき
    主君の前にひざまづくと
    義経馬から飛び降りて
    継信の頭を膝に乗せ
    「継信よお前のような
    強い武士が矢傷一つで
    これほど弱ることがあろうか」
    励ますことばをかけたので

  • 121.-129.

    継信何とか頭を上げて
    「ふるさとを出たその日から
    命は殿にささげています
    殿の代わりに死ねるのは
    かねてからの本望です
    ただし殿が平家をほろぼし
    立派になったお姿を
    見届けられず残念です」
    やっと語って涙を流す

  • 130.-140.

    義経も涙にむせび
    しばらくしてから継信に
    「われらが平家をほろぼすのに
    今から十日もかかるまい
    わたしが世に出たその時は
    お前たち兄弟を
    引き立てようと思っていたが
    ここでこの世の別れとは
    かえすがえすも無念だ」と
    いうその声が聞こえたか
    継信は嬉しそうに
    うなずきそのまま息絶えた

  • 141.-145.

    義経は深く悲しみ
    わが愛馬太夫黒に
    金覆輪の鞍置いて
    僧に与えて継信を
    ねんごろにとむらわせた

  • 146.-150.

    忠信はじめ家来たち
    みなみな深く感激し
    「ああこの殿のためならば
    命は少しも惜しくない」と
    かたく誓ったことだった

  • 151.-158.

    これほどの名将と
    忠義の家臣の物語
    いつの世までも古高松の
    風が伝えて後々の
    人々のための教えとなり
    その名は響いて空に届き
    屋島の浦に残るだろう

注釈

1,1. 検非違使五位尉…この以前に義経は、左衛門少尉・検非違使に任ぜられ、また五位に叙せられている。1,2. 源義経…源頼朝の弟。平家追討軍の大将の一人。2,1. 讃岐…現在の香川県。2,2. 屋島…「八島」とも。讃岐国の地名。当時は浅瀬に隔てられた島であった。現在では四国と地続きで高松市内。3. 平族…平家の一族。4. 再び王城の地を踏まず…二度と都には戻らぬ。6. 文治元年如月中旬…文治元年は西暦1185年。合戦のあった二月十八日は太陽暦では3月下旬頃に当たる。8,1. 摂津…現在の大阪府北部および兵庫県南部。8,2. 福島…現大阪市福島区。9.海若…海の神。12,1. 阿波国…現在の徳島県。12,2. 八間の浦…『源平盛衰記』には、この時義経が「ハチマアマコノ浦」に上陸したとある。ハチマアマコは阿波国の八万余戸、現徳島市八万であろう。13. 浦曲…湾曲した海岸。14,1. 赤旗…平家の旗。14,2. 旒…旗を数える単位。16. 荒駒…荒馬。17,1. 蹄にちらふ…馬の蹄に蹴散らされた。17,2. 桜間ノ良連…この時義経が撃退したのは、覚一本『平家物語』では桜間介能遠であるが、『源平盛衰記』では桜間外記大夫良連とされる。20,1. 中山…讃岐国東部の地名。現香川県東かがわ市中山。20,2. 引田…「ひけた」とも。讃岐国東部の地名。現香川県東かがわ市引田。21. 志度…讃岐国の地名。現香川県さぬき市志度。22. ここへ木田郡…「ここへ来た」と「木田郡」の懸詞。香川県木田郡が現存。23. 牟礼…讃岐国木田郡の地名。志度のやや西。現高松市牟礼町。24. 瓜生山…讃岐の丘陵。山上から屋島が一望できるという。現高松市。27. 親家…近藤六親家。現地の住人で義経に道案内を命じられた。31. さん候…そうです。相手の問いかけに応える語。33. 未の刻…午後2時頃。36. 時しもあれや…ちょうどその時。41. 八幡…八幡大菩薩。源氏の守り神。44. 田代の冠者信綱…源氏方の武士。伊豆国田代の住人。屋島では先陣を切って戦ったと『平家物語』諸本に伝えられる。45. 後藤兵衛実基…源氏方の武士。保元・平治の乱にも参戦したという古つわもので、屋島では平家の内裏を焼き払った。46. 鎌田藤次光政…義経の郎等。覚一本『平家物語』には名が見えないが、『源平盛衰記』では屋島で討ち死にする。47. 淀河内忠俊…「河内」は「江内」とも。山城国淀の住人。義経軍の船奉行であった。51. かゝるべしとも露知らで…そのように敵が攻撃してきているとは全く知らずに。53. 伊予の勝軍…この以前に平家の軍勢は伊予の河野通信を攻め、討ち取った郎等たちの首実検をしていた。54. 首実検…いくさで取った敵の首級を検分すること。56. 火急の…急ぎの。57. 内裏…屋島に設けた仮の御所。58,1. 先帝…安徳天皇。既に都では後鳥羽天皇が即位しているので「先帝」と称せられる。58,2. 女院…建礼門院徳子。安徳天皇の母。66. 逐次に…順に。70. 朦々…煙の立ちこめたさま。71. 炎々…さかんに燃え上がるさま。72. 瞬間…ほんの少しの間。74. 宗盛…平宗盛(1147-1185)。清盛の三男で父の没後に平家の総大将となった。76. 能登殿…能登守平教経。後出。78.教経…平教経(1160-1185?)。清盛の弟教盛の子。81. 総門…城の外郭にある最大の門。84. 矢叫び…矢を射る時あるいは射当てた時に発する声。91. そこのかずや…そこを退け。98.佐藤継信…義経の郎等。平泉から義経に随従して来た。103,1. 僮…戦場で召し使う年少の従者。児童が多いが成年の場合もある。103,2. 菊王丸…教経の童として『平家物語』諸本に登場する。18歳であった。106. 弟忠信…佐藤継信の弟で、やはり義経の郎等。110. 余勇…あふれる勇気。111. 愁然…悲しむさま。117. 三郎…佐藤継信の通称。127. 御代に立たせ給ふを…義経が立身するのを。133. 旬日…十日。135. 左右に立てん…重臣として立身させようと。142. 太夫黒…義経の愛馬。義経が五位に叙せられたので五位を意味する「大夫」の名を与えたもの。143. 金覆輪の鞍…鞍の前後の山形の部分を金で飾ったもの。153. ふる高松の…「ふる」は「千代も経る」と「古高松」の懸詞。「古高松」は地名で、屋島の対岸に当たる。現高松市古高松。155. をしへ草ともなりかぶら…「教へ草とも成り」と「なりかぶら」の懸詞。「をしへ草」は教訓の手引となるもの。「なりかぶら(鳴鏑)」は「鏑矢」と同じく、射ると大きな音を立てて飛んで行く矢。

屋島(香川県)

音楽ノート

本曲は演奏されることがほとんどないが、それには単純な理由がある。作曲は橘会の創始者である橘旭宗師の手によるとされている。通常、詞章本文も作曲者自身の文字で書かれるものであるが、本曲はそうではない。師自身が書いたのは、各行の頭の音程の数字やいわゆる節回しの譜図および弾奏部分に関する指示といった音楽に関連する事項だけである。それらが師の手によるものであることは明らかであるが、本文の文字は書道家によって書かれており、通常のもの(琵琶本)とは異なっている。
橘旭宗師自身の筆跡はどの曲目においても読みやすいものであり、琵琶奏者はみな読み慣れている。しかし本曲は崩し字で書かれているだけではなく、今日使われていない変体仮名が出てくる。そのため初心者は初めから敬遠し、変体仮名や橘会の合いの手に慣れた熟達した奏者のみが演奏に挑戦するのである。
加えて、本曲は158行にわたる長い曲であり、多くの劇的な出来事が挿入されているためかなりの技術が要求される。しかし習熟すればその色彩豊かな多様性と曲全体の堂々とした構成が楽しめるはずである。

平教経(狩野元信 画)

14行目からすでに義経と平家の武士たちとの最初の出合いがある。ここで戦いにつきものの音楽的描写が期待できるのであるが、実際にはその場面は短く、二つの流しが立て続けに出てくる。これは作曲者が本曲の持つ勇壮な雰囲気を強調しようとしたもので、おぞましい出来事が多い物語であるにもかかわらず、主眼を「武士の心根」に置いたためである。
この短い源氏と平家の出合いの後、息をのむ戦いの場面が107行目まで続くが、刺激的な合いの手が数多く挿入されている。通常の演目ならこの程度の長さで終結に至る。しかし本曲では50行にわたる義経と継信の悲しくも情愛のこもった場面が続く。継信は義経めがけて放たれた矢から主を守ろうと勇敢に飛び込んで射られ、致命的な傷を負うのである。この総大将と郎党の間の最後のやりとりは非常に感動的で音楽的にもこまやかな輪郭をもっている。最後の15行は穏やかに流れ、我が身を顧みず武士の本分をまっとうした人への深い賞賛を表している。
本曲が『平家物語』と異なる点は、ヤマ場を物語の最後の継信の死に置いたことである。『平家物語』においては、継信の死で終わる教経と義経の戦いは数多くの挿話の一つにすぎないが、本曲ではこの挿話が後半の大部分を占めている。この曲が作られた20世紀初頭は、日本が急激に軍国主義へと傾いていった時代である。当時、琵琶の演目の中でもとりわけ武士の忠義を讃えるもの、あるいは兵と将との間の心のふれあいを描いた曲に人気があった。本曲もそうした流れに乗ったものと思われる。全曲を聴いた聞き手は必ずや継信の最期の独白に心打たれ、死にゆく郎党に涙する総大将義経に感動せずにはおかないのである。