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検非違使 五 位 の尉 源 義 経 は -
讃岐 の屋 島 に占 拠 する -
平族 を殲 滅 せずんば -
再 び王 城 の地 を踏 まずと -
院 の御 所 に奏 上 し奉 り -
文 治 元 年 如月 中旬 -
三万余騎を
引率 し -
摂 津 の福島 に来 りしに -
暴風 遽 に起 り海 若 連 に号 ぶ -
豪 気 の義経物ともせず -
僅 に百五十騎を随 へて -
阿波 国 八間 の浦 に渡りけり -
浦曲 につゞく丘 の上 に -
赤旗 四五旒 見えければ -
アレ
蹴散 らせと下知 の下 -
勇みに勇む
荒 駒 の -
蹄 にちらふ桜間 良連 -
唯 一 当 に落ちてけり -
幸先 よしぞ急 げやと -
中山 こえて引 田 浦 -
志度 の港を右手 に見て -
はやくもこゝへ
木 田 郡 -
牟礼 の浜 辺 に押寄 けり -
やがて義経
瓜 生 山 に登 り -
屋島の
方 を眺 めつゝ -
土地
案内 の武 士 を招 き -
やよ
親 家 彼方 の入 江 は - 馬にて渡られなんや
-
船 ならでは通 はれまじきやと -
気 遣 はしげに問ひ給ふ -
さん
候 かしこは潮 の引きたる時 -
馬 の太腹 もつかり候はず -
今日 は十九日今は未 の刻 -
干 潮 の真 盛 りにて候と -
指 さしながら答 へける -
時しもあれや
赤 牛 の - 何に心を引かれてや
-
牟礼 の浜 より海に入 り - 屋島をさして渡りゆく
-
義経
眼 ざとくキッと視 て -
あれこそ
八幡 の御 導 なるぞ -
いざ敵のさとらぬ
間 に -
疾 く渡れやと大音声 -
第一番に
田 代 の冠 者 信綱 -
第二番には
後 藤 兵 衛 実 基 -
続 いて鎌 田 藤 次 光政 -
淀 の河 内 忠 俊 等 -
いづれも一騎当千の
猛者 -
馬を海中に
駆 って入り -
勢ひ鋭く
突進 す -
かゝるべしとも
露 知 らで -
平家の大将
宗 盛 は -
伊予の
勝 軍 に打取れる -
首実検 を為 しつゝありしに - 源氏の大軍押寄せたりと
-
火 急 の注 進 に愕 きあはて -
いそぎ
内 裏 に走 せ詣 り -
先 帝 女 院 を具 し進 らせ -
取 籠 められては一大事と -
味方を
促 し船に乗り -
沖 の方 へと漕 ぎ出 でけり -
折しも
此処 へ源氏の軍勢 -
驀然 に馳 せ来り -
馬を
渚 に立て寄せて - 義経始め将士の面々
-
逐次 に名 乗 を揚 げたりけり -
此時
後 藤 兵 衛 実 基 は -
サッと其場を
馳 せ抜けて -
内 裏 に入りて火を放てば -
朦 々 たる黒 煙 地 を掩 ひ -
炎々たる
紅 焔天 を焦 し -
さしもの
内 裏 も瞬間 に -
あはれ
灰 燼 とぞなりにける -
宗 盛 源氏の軍 を打 眺 め -
敵は
想 ひしよりも小 勢 なり -
能登 殿 は在 さずや -
陸 に近づき一戦し給へと -
いはれて
教経 猶 予 もなく -
承 りぬと突 立 ち上 り
-
二百余人を
率 連 れて -
総門 前 の汀 に漕 寄 せ -
皆
一 斉 に矢を放つ -
源氏も
応 じて矢を放ち -
矢 叫 び天地に響 きたり -
やがて
教 経 陣頭 に出 で -
義経
目指 して射 らんとす -
源氏の
将士 かくと見て -
馬のかしらを立て
並 べ - 君の馬前に立ちふさがる
-
教経 声をあらゝげて -
そこのかずや
雑 人 輩 と -
かねて聞ゆる
強 弓 にて -
矢 継 早 に射 かければ - 源氏の勇士三四人
-
痛 手 を負 ひて引 退 く -
その
機 に乗 じ復 も一 矢 -
あはや義経に
命 中 せんとす -
佐 藤 継 信 横合 より -
身 を躍 らして立ち掩 へば -
忽 ち左手 の肩 より右手 の脇 へ -
ズカリとばかり
貫 かれ -
真逆 様 に馬より落 つ -
教経 の僮 菊 王 丸 - 船よりひらりと飛んで下り
-
継 信 の首 を搔 んとするを -
継 信 の弟 忠 信 -
遥 に認 め射 て殪 す -
さすが
豪 邁 の教経 も -
菊 王 丸 の戦 死 を憐 み -
今 は戦 ふ余 勇 も失 せ -
愁 然 として引 揚 げけり -
さる
程 に佐 藤 忠 信 は -
兄
継 信 を搔 き抱 き -
君の
御 前 に跪 けば - 義経馬より飛び下りて
-
継 信 の頭 を膝 に載 せ -
いかに三郎汝の如き
剛 の者 の -
矢 疵 一つにかくまでに -
悩 み衰 ふる事 やあると -
励 ますべくも仰 せければ -
継 信 僅 かに頭 をあげ -
故郷 を出 る其 時より -
一命は君に
捧 げ奉 りぬ -
今
御命 に代 り死 せんこと -
日頃の
本望 にて候へ -
たゞ君の平家を
討滅 し -
御代 に立たせ給ふを見ぬこそ -
残 り惜 う候へと -
漸 く語 りて落 涙 すれば -
義経も
涙 に咽 び給ひしが -
やゝありて
継 信 に打 対 ひ -
吾等の平家を
滅 さん事 -
旬日 の中 に過 ぎざるべし -
我 世 に在 らば汝兄弟を -
左 右 に立てんと思ひしに - 今汝に永く別るゝは
- 返す返すも無念やと
- のたまふ声の聞えてや
-
継 信 嬉 しげに首肯 きつ -
其儘 呼吸 は絶 にけり -
義経
痛悼 哀惜 し -
己 が愛 馬 の太夫 黒 に -
金覆 輪 の鞍 をおき -
継 信 の冥福 のため -
僧 に贈 りて懇 に葬 はせければ -
忠信始め
並 居 る将卒 -
いづれも深く
感激 し -
嗚呼 此 君 の御為 には -
一命何か
惜 かるべきと -
只管 心に誓 ひける - かゝる名将忠臣の
-
合戦 語 りは幾 千代 も -
ふる高松の
夕風 に -
伝 へて後 の国 民 の -
をしへ
草 ともなりかぶら -
響 は天 に聞 えつゝ -
矢 島 の浦 にのこるらん -
屋 島 の浦に残 るらん
-
1.-5.
判官源義経は
讃岐屋島に陣を取る
平家を滅ぼさない限り
再び都に帰らぬと
法皇様に申し上げ -
6.-12.
文治元年二月のなかば
三万の軍勢を引き連れて
摂津福島に来たところ
嵐が吹いて荒れる海
気にもとめずに義経は
百五十騎を従えて
阿波の八間に渡りつく -
13.-18.
浦から続く丘の上
敵の赤旗見えたので
「あれ蹴散らせ」と命ずると
勇んで駆ける荒馬の
勢い恐れた桜間良連
すたこらと逃げていった -
19.-23.
「幸先よいぞ急げや」と
中山越えて引田浦
志度の港を右に見て
早くも来たのは木田郡
牟礼の浜辺に押し寄せた -
24.-30.
瓜生山に登った義経
屋島の方を眺めながら
地元の武士を呼び寄せて
「親家よあの入り江は
馬でも渡って行けるのか
船でなくては行けぬか」と
気になる様子で聞いてみた -
31.-34.
「あそこの潮は引いた時
馬の腹よりもっと下
今は十九日の昼間
いちばん引いている時です」と
指さしながら答えてくれた -
35.-39.
ちょうどその時赤牛が
何に心を引かれたか
牟礼の浜から海にはいり
屋島目指して歩き出す -
40.-50.
それをめざとく見つけた義経
「八幡様のお導き
敵の気づかぬそのうちに
急いで渡れ」と大号令
田代信綱 後藤実基
鎌田藤次に淀の河内
一騎当千の猛者たちが
馬を進めて海の中
勢いつけて突進する -
51.-61.
そんなこととは知らないで
平家の大将宗盛は
伊予のいくさで取った首
並べて実検していたが
「源氏の軍が押寄せた」と
火急の知らせに驚いて
屋島の御所に駆け込むと
みかどと女院をお連れして
「取り囲まれては大変」と
味方を促し船に乗り
沖の方へと漕ぎ出した -
62.-66.
そこに源氏の軍勢が
まっしぐらにやって来て
馬を渚に並べると
義経はじめ武士たちが
次々に名乗りを上げた -
67.-73.
この時後藤実基は
サッとその場を駆け抜けて
御所に入りこみ火を放つ
黒い煙が地を覆い
赤い炎が天をこがす
さしもの御所もまたたくうちに
跡形もなく燃え尽きた -
74.-77.
宗盛は源氏をながめ
「敵は意外に少ないぞ
教経殿はおられぬか
陸に近づき戦え」と
-
78.-84.
言われてすぐに教経は
「承知した」と立ち上がり
二百人を引き連れて
船を総門前に寄せ
みな一斉に矢を放つ
源氏も応じて矢を放ち
叫び声は天地に響く -
85.-95.
教経は最前線
義経をねらって射る
源氏の武士たちそれを見て
馬を並べて御前をふさぐ
教経は声あららげ
「そこをどかぬか雑兵ども」と
かねて知られた強い弓
矢継ぎ早に射かけたところ
源氏の勇士が三四人
深手を負ってしりぞいた -
96.-102.
この機に乗じて教経が
またも射た矢は義経に
命中するかと見えたその時
横合から佐藤継信
身をおどらせて主君をかばうと
左の肩から右の脇まで
ぐっさりと貫かれ
馬から落ちてまっさかさま -
103.-107.
教経に仕える菊王丸
船からひらりと飛び降りて
継信の首を取りに来たが
遠くで見ていた弟忠信
菊王丸を矢で射抜いた -
108.-111.
さすが強気の教経も
菊王丸を哀れんで
すでに戦う気持ちも弱り
悲しみながら去ってゆく -
112.-120.
そうして佐藤忠信が
兄の体をかきいだき
主君の前にひざまづくと
義経馬から飛び降りて
継信の頭を膝に乗せ
「継信よお前のような
強い武士が矢傷一つで
これほど弱ることがあろうか」
励ますことばをかけたので -
121.-129.
継信何とか頭を上げて
「ふるさとを出たその日から
命は殿にささげています
殿の代わりに死ねるのは
かねてからの本望です
ただし殿が平家をほろぼし
立派になったお姿を
見届けられず残念です」
やっと語って涙を流す -
130.-140.
義経も涙にむせび
しばらくしてから継信に
「われらが平家をほろぼすのに
今から十日もかかるまい
わたしが世に出たその時は
お前たち兄弟を
引き立てようと思っていたが
ここでこの世の別れとは
かえすがえすも無念だ」と
いうその声が聞こえたか
継信は嬉しそうに
うなずきそのまま息絶えた -
141.-145.
義経は深く悲しみ
わが愛馬太夫黒に
金覆輪の鞍置いて
僧に与えて継信を
ねんごろにとむらわせた -
146.-150.
忠信はじめ家来たち
みなみな深く感激し
「ああこの殿のためならば
命は少しも惜しくない」と
かたく誓ったことだった -
151.-158.
これほどの名将と
忠義の家臣の物語
いつの世までも古高松の
風が伝えて後々の
人々のための教えとなり
その名は響いて空に届き
屋島の浦に残るだろう