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花を見捨てゝ行く
雁 の - 花なき里に急ぐらん
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友呼び
交 し旅 衣 - 露けき袖をしをりつゝ
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判官 主 従 十二 人 -
其の
先 達 は弁慶にて -
亀井片岡伊勢
駿河 - 山伏姿に身をやつし
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頃は
如月 十日の夜 -
月の都を
遠近 の -
夢ぞ名に負ふ
逢 坂の -
関の
清 水 の行末 に -
さすや流れの
水 馴 棹 -
海 津 三 国 も越 路 方 -
安宅の関にぞ
着 にける -
喃 々それなる山伏達 - こゝは関にて候ぞ
- 承り候
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吾 は南都東大寺建 立 の為 - 国々へ勧進の
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北陸 道 を承はる客僧にて候 -
近頃
殊勝 の至りに候へども -
頼朝義経
御 兄弟 - 御仲不和とならせ給ひ
- 判官殿主従十二人
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陸奥 秀衡 を頼り給ひ - 作り山伏となりて
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みちのくへ
御 下 向 の由 - 鎌倉殿の厳命により
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新関 設 けて候なり -
さてこそ
笑止 -
真 の山伏をも止 め候や -
あらむづかしや問答
無 益 -
一人 も通すこと罷 りならん - かくと聞くより弁慶は
-
一
期 の浮 沈 大事の瀬戸と - 山伏達を相集め
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珠 数 さらさらと押揉んで -
最後の
祈念 をぞ始めける -
暫 く待たれよ御 先 達 -
事の
序 に問ひ申さん -
およそ山伏の
起 因 ないかに -
弁慶
一 縷 の望 を得 -
抑 も山伏の濫觴 といっぱ -
唐土 にては三蔵法師 -
我 朝 にては役 の行者 -
その身は不動明王の
尊 容 をかたどり -
野山の末や
樹 下 石上 -
苦行 を夢とさとりつゝ -
頭 に戴 く兜 巾 こそ -
まことに五
智 の宝冠にて -
十二
因 縁 のひだをすえ -
九重 曼 陀 羅 の柿 の篠 懸 -
胎蔵 黒色の脛衣 をはき -
扨 又八つ目の草鞋 は -
八葉 蓮 華 を踏みて立ち -
即 身 即 仏 の有難さ -
出で入る
息 は阿 呍 の二字 -
されど法衣を
纏 ふ身が -
何故 兜 巾 篠懸 や -
はた又
太刀 を佩 きつるや -
篠懸 兜巾は武士の甲冑 -
佩 きたる太刀は案山子 に非ず -
弥 陀 の利剣の旨 を罩 め -
仏法平法に
障碍 をなす -
悪 獣 毒蛇 は申すに及ばず -
王法
瀆 す徒 は -
一殺 多生 の利によって -
立ち
処 に斬って落す -
眼 に遮 り形あるものはよし斬るとも -
陰 気 妖 魔 は何を以て斬るべきや -
九字
真言 な以て切断 す - かゝるいみじき山伏を
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此処 にて打止 め給はん事 -
不動明王の
照覧 -
熊野 権現の御 罰 の程 - いと恐ろしく候はん
- 関守更に言葉をつぎ
- されば先程仰せられし
-
南都東大寺
建立 の勧進の主意 - いざいざ御読み候へかし
-
関守これにて
聴 聞 せん -
固 より勧進帳のあらばこそ -
笈 の中 より取り出 す -
往来 の巻物一 巻 - 勧進帳と名づけつゝ
-
押
戴 きて大 音 声 -
夫 つらつら惟 れば - 大恩教主の秋の月は
-
涅 槃 の雲にかくれ -
生死 長夜 の長き夢 - 驚かすべき人もなし
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爰 に中頃帝 おはします -
御名を
聖武 皇帝と名づけ奉 り - 最愛の夫人に別れ
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追 慕 やみ難く -
涕 泣 眼 に荒く涙 玉を貫 く -
思ひを
善 途 に翻 へし -
盧 遮 那 仏 を建 立 す -
然るに
去 じ治承 の年 -
焼亡 し畢 んぬ -
斯 程の霊場の絶へなん事を悲しみて -
俊 乗 坊 重源 勅命を蒙 り -
諸国に向つて
勧進 す -
一紙半銭
奉 財 の輩 は -
現 世 にては無比 の楽 にほこり
-
当 来 にては紫磨 -
黄金 の台 に坐 せん -
帰命 稽 首 敬 って申す -
心に祈る
南無 八幡 -
声に力をうち
罩 めつ - 天も響けと読み上ぐれば
-
関の人々
肝 を消し - そら恐ろしくなりにけり
- いざまからんと勇む手に
-
又一難は
蔽 ひかゝる -
いかにそれなる
強力 とまれとこそ - 弁慶ハッと驚きて
-
何として
強力 を止 め候ぞ - 判官殿に似たると申す者の候程に
-
ヤッ
言 語 同 断 -
判官殿に似申した強力
奴 は -
一
期 の思出な腹 立 ちや - 日高くば能登の国までは
- 越さうずると思ひしに
-
僅 の笈 負 ふて退 ればこそ -
総 じて人にも怪 まれん -
怒りの
形相 物凄く -
金剛 杖 を振りかざし -
丁々 撥止 と打下 す - 四天王を始めとし
- すわ我君の御大事と
-
打 刀 抜きつれて - 勇みかゝらん有様に
- 弁慶ますます気をいらち
-
まだ此上に御
疑 ひあらば -
如 何 様 にも訊 命 あれ -
但し
此 場 に打殺さんや - 又振り上げし金剛杖
- うたるゝ君の心より
-
杖 をあつる弁慶は -
総身 ついに戦 きて -
骨も
撓 まんばかりなり -
こは
先 達 のあらげなし -
士卒の者の
訴 へにて -
よしなき
余 の僻 目 より -
折檻 もし給ふなれ -
今は
疑 ひ晴れたれば -
とくとく
誘 ひ通られよ - げに弓取の情けにて
-
隈 なき空の浮足に -
急ぎ過ぎ行く浜
伝 ひ -
磯辺の松の
木 蔭にて -
暫 し息 をば休めけり -
いかに弁慶
今日 の機 転 -
余 を打据 え助けしは -
とても
凡慮 の術 ならず - かたじけなくは思ふなり
-
畏 れ多き仰せかな -
それ世は
澆季 と雖 も -
日月 未だ地に墜 ち給はず -
弓矢八幡の
御 守 護 あり -
さり
乍 ら正 しく君を打据 へし - 天罰いとゞ恐ろしく
-
千斤
重 からざる腕 も -
一時にしびるゝ心の
責 - ゆるさせ給へ我君と
-
豪勇無双と
称 へられ - ついに泣かぬ弁慶も
-
時ならなくに
眉 の下 -
いつしか
時雨 の降りしきる - 判官その手を取り給ひ
-
絞 るや御衣 の袖 袂 - 十有余人の勇士等も
-
万 感 交々 むらがりて - はてしもあらぬ風情かな
- やゝありて義経は
-
余 幼き時母常盤 が懐 に抱 かれ - 伏見の里の雪にくれ
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鞍 馬 の山の闇 に泣き -
兄頼朝の
命 を受け - 風にさらされ舟に浮き
-
又或る時は
山 背 の -
馬 蹄 も見えぬ雪の下 - 須磨や明石の夕波に
-
驕 る平家を打沈め - 白旗なびく世となせし
-
その忠勤も
徒 らに -
讒 者 の為にあやまられ -
今
落人 や梓 弓 - 引返すべき春もなし
-
悲 歎 に暮るゝ勇将の - 心はげまし一同が
- いざまからんとする処に
-
あとを
慕 ひし関守が - 運ぶ情や菊の酒
-
匂ふまことは
群 肝 の -
心ゆるせし
玉巵 に - 真如の月の影やどるらん
- 去る程に弁慶は
-
舞 延年 の時の若 -
面白や
山水 に山水に - 鳴るは滝の水鳴る滝の
-
音 より高き君の徳 -
千代の
栄 も目 出度 かるらん - 舞ひつ謡ひつ面白く
- 関の人々もとの道
-
山伏達は
暇 して -
笈 をおっとり肩にかけ -
虎の尾を踏み
毒蛇 の -
口を
遁 れて九十九 折 -
陸奥 さしてぞ下りける -
みちのく
指 してぞ下りけ
-
1.-15.
つらい旅路をあゆみゆく
義経一行十二人
まずは弁慶その後に
亀井 片岡 伊勢 駿河
みな山伏のなりをして
時は二月の十日夜
月を見ながら都落ち
かの逢坂の関も越え
水が流れてゆくように
海津 三国と通り過ぎ
着いたところが安宅の関 -
16.-21.
「やあやあそこの山伏たち
ここは関所だ詮議する」
「承知いたしておりまする
われらは奈良の東大寺
再建のため寄付金を
集める旅をしています
全国回っておりまして
私は北陸担当です」 -
22.-30.
「それは立派な心がけ
しかしながら世の中は
頼朝義経仲たがい
義経殿は奥州の
秀衡殿を頼るため
にせ山伏の姿となり
御家来つれてみちのくを
目指して逃げているらしい
だから関所を作れとの
頼朝様の御命令」 -
31.-34.
「それはおかしくないですか
にせ山伏はいざ知らず
本物さえも止めますか」
「ごちゃごちゃ言っても仕方がない
ともあれ誰も通させぬ」 -
35.-39.
それを聞いた弁慶は
今こそ命の瀬戸際と
山伏たちを呼び集め
数珠さらさらと揉みながら
最後の祈りをし始める -
40.-42.
「お待ちなされよ山伏殿
いくつかお尋ねいたしたい
そもそも山伏とは何か」 -
43.-58.
弁慶かすかに期待して
「そもそも山伏の始まりは
中国では三蔵法師
我が国では役の行者
お不動様の姿を借り
山で修行を積み重ね
五智宝冠の兜巾をかぶり
九会曼陀羅の篠懸を着て
脛衣の黒は胎蔵界
草鞋の八つ目は八葉蓮華
その身そのまま仏となる」
「口から吸ってまた吐く息は」
「全てを覆う阿吽の二字」 -
59.-61.
「しかし仏に仕える身
どうして兜をかぶったり
刀を持ったりしているのか」 -
62.-69.
「武士の鎧と同じこと
刀も飾りではありません
南無阿弥陀仏と唱えれば
罪を断ち切るそのように
仏の教えにあだをなす
けだものやまた悪人は
皆を助けるそのために
斬って捨てることもある」 -
70.-72.
「形あるものは斬れようが
亡霊などは何とする」
「九字の呪文で斬るのです」 -
73.-77.
「こんな立派なお坊様
ここで殺してしまっては
お不動様や権現様の
ばちが当たって恐ろしい」 -
78.-82.
関守富樫は更に言う
「おっしゃる通り東大寺
寄付金集めというのなら
勧進帳があるでしょう
読んで下さい聞きましょう」 -
83.-87.
勧進帳などあるはずない
荷物の中からそれらしい
巻物一巻取り出して
それをいかにもそれらしく
大声で読むふりをする -
88.-99.
「いろいろ考えてみると
お釈迦様の雲隠れ
それから世の中長い夜
さきごろ聖武天皇は
お后様に先立たれ
悲しい涙を流したが
それを何か善いことにと
大仏様を建てさせた -
100.-109.
ところが去る治承の頃
お寺が焼けてなくなった
このままでは残念と
俊乗坊重源が命じられ
寄付金集めが始まった
御協力をいただければ
この世では豊かな暮らし
あの世でも極楽往生
どうぞお願いいたします」
-
110.-114.
心の中で祈りつつ
力をこめて声張り上げ
空に響けと読み上げた
関の役人驚いて
どうやら恐れている様子 -
115.-120.
さあ行こうかと思ったが
一難去ってまた一難
「止まれよそこの荷物持ち」
弁慶はっと驚いて
「どうしてお止めなさるのか」
「義経殿に似ていると
申した者がいるからだ」 -
121.-130.
「やあそれは言語道断
義経に似た荷物持ち
何と腹立たしいことか
今日は能登まで行くつもり
小さな荷物を重そうに
するから人に疑われる」
弁慶激怒した顔で
金剛杖で義経を
散々に打ちたたく -
131.-138.
さあ義経の家来たち
これこそ主君の一大事と
みなみな刀を抜きはなち
襲いかかろうとするところ
弁慶あわててそれを止め
「まだお疑いなさるなら
お調べ下さいいくらでも
何ならここで殺します」 -
139.-143.
言って再び振り上げた
杖に打たれる義経より
打つ弁慶の辛いこと
総身ふるえが止まらない -
144.-149.
「これは手荒い山伏殿
配下の者の見間違え
そのため無理な取り調べ
もはや疑い晴れたので
さあさあ急ぎ通りなさい」 -
150.-154.
まさしく武士の情けとか
難をのがれた一行は
大空飛んでゆくように
先を急いで浜づたい
松の木陰で一休み -
155.-158.
「弁慶今日はよくやった
私を打って助けるとは
並々ならぬその機転
ありがたいと思っている」 -
159.-171.
「畏れ多いお言葉です
いくら末世といったとて
お天道様にお月様
八幡様もいらっしゃる
御主君様を打ち据えて
罰が当たるに違いない
重いものでも平気な腕
今日はしびれて動かない
お許し下さいわが君」と
天下無敵の名を取った
決して泣かぬ弁慶の
目には時雨が降りしきる
季節外れであるけれど -
172.-176.
その手を取った義経の
袖も涙で濡れている
勇士揃いの家来たちも
思いに胸がふさがって
何も言えずにいるばかり -
177.-191.
義経ようやく口を開き
「幼い時にわたくしは
母の常盤の胸の中
雪の伏見をさすらって
鞍馬の山で育ったが
兄頼朝に命じられ
ある時は山の奥深く
またある時は船の上
遂に平家を海に沈め
源氏の天下としたけれど
その働きも虚しくて
告げ口男にしてやられ
お尋ね者の身となって
もうあの頃に戻れない」 -
192.-199.
嘆き悲しむ義経を
励ます家来一同が
出発しようとしたところ
後から関の役人が
祝いの酒を持ってきた
情けにあついその心
あたかもまるい月影が
ついだ酒にも映っている -
200.-205.
ほどよく酔った弁慶は
延年の舞を踊り出す
「やあ面白い山の水
水が鳴るのは滝の音
響きわたるよ君の徳
いついつまでも栄えあれ」 -
206.-213.
歌って踊る面白さ
やがて役人帰り去る
山伏たちも別れを告げ
荷物ふたたび肩に掛け
虎の穴から出た気持ち
みちのくに向け歩き出す