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本能寺

解説

天正十年六月二日(西暦1582年6月21日)、織田信長(1534-1582)は京都本能寺に滞在していたが、その重臣明智光秀(?-1582)がにわかにこれを襲撃し、信長を自害に至らしめた。世に言う本能寺の変である。天下を統一しつつあった信長が突如として、しかも家臣に襲撃されて死んだという衝撃的なできごとであった。江戸時代以降、文学や芸能の世界でこの事変を描いた作品は枚挙に暇がないが、中でも武内確斎作『絵本太閤記』(寛政九1797~享和元1801年刊)や頼山陽(1781-1832)の漢文史書『日本外史』(天保七1836年頃刊)などは、江戸時代後期から明治期にかけて広く流布した。明智光秀はなぜ主君に反逆したのか。その真の理由はもはや不明というべきであろう。しかし文学芸能作品においては、信長から数々の辱めを受けた光秀がその怨恨によって決起した、という描き方をするものが主流である。本作でも信長の光秀に対する仕打ちをいくつか挙げるが、それらも概ね上記両書のいずれかあるいはその他の諸書に見えるところである。また本作の65.「本能寺溝ノ深サ幾尺ナルゾ」から72.「敵ハ備中ニモアリ汝能ク備エヨ」までは、頼山陽の漢詩集『日本楽府』(天保元1830年)に収録される「本能寺」を全句引用したものである。
本曲を作詞した小田錦蛙(1858-1916)は本名為若、鹿児島出身で薩摩琵琶曲の作者である。大正五年七月八日没。実兄為知(錦夢)は薩摩琵琶の奏者として活躍した。

参考文献

高柳光寿『明智光秀』(人物叢書) 吉川弘文館 1958
桑田忠親校注『太閤史料集』(戦国史料叢書) 人物往来社 1965
頼成一・頼惟勤訳『日本外史』(岩波文庫) 岩波書店 1976~1981
二木謙一校注『明智軍記』 新人物往来社 1995
檜谷昭彦・江本裕校注『太閤記』(新日本古典文学大系) 岩波書店 1996
桑田忠親校注『新訂信長公記』 新人物往来社 1997
島津正『明治 薩摩琵琶歌』 ぺりかん社 2001
桐野作人『真説 本能寺』(学研M文庫) 学習研究社 2001
谷口克広『検証本能寺の変』(歴史文化ライブラリー) 吉川弘文館 2007
揖斐高訳注『頼山陽詩選』(岩波文庫) 岩波書店 2012
盛本昌広『本能寺の変』 東京堂出版 2016
村上紀夫『江戸時代の明智光秀』 創元社 2020

あらすじ

戦乱の世の天正十年、駿府の徳川家康が安土城を訪れるという知らせが入った。家康接待の役目を命ぜられた明智光秀は、ここが腕の見せ所と財を尽くして見事に役目を果たしたが、家康のような者に過ぎた接待であったと誹謗もされた。折しも備中で毛利攻めをしていた羽柴秀吉より援軍を乞う知らせが入り、信長は光秀にその役を命じた。同輩の秀吉のもとで働けという命に光秀は歯ぎしりをするほど悔しがった。思えば、これまでにも光秀は、信長から人前で数々の辱めを受けていた。そのうえ、今の領地もいずれ取り上げられるかもしれぬとのこと。心を尽くした饗応も水の泡となった光秀の心には「主憎し」の思いが燃え上がるのであった。光秀の胸のうちを知らぬ信長は、わずか100余の手勢を引き連れ京の本能寺へと向った。「さあ、時が来た」と光秀は、備中へ向うと装って大江山を越え、老の坂へとさしかかった。東に向えば京の都、西に向えば中国路という分かれ道、「敵はまさしく本能寺にあり」との声に明智の軍勢は京に向かい、本能寺を取り囲み攻め入った。音に目覚めた信長は光秀謀反を知り、弓を取って寄せ来る敵に立ち向かった。居合わせた者みなも必死に戦ったが多勢に無勢、もはやこれまでと信長は自ら館に火を放ち、煙の中で自刃した。天下統一の大望も道半ばでついえたのであった。

『本能寺焼討之図』(楊斎延一 画)

  • 詞章
  • 現代語訳
  1. 麻と乱るゝ戦国の
  2. 人とし言へば たれ もかも
  3. 馬を養ひ兵を
  4. かて おさ めて けん
  5. 頃は天正十年夏五月
  6. 徳川家康 ほう ぜられ
  7. づち 城下に入りしかば
  8. 織田右大将信長は
  9. いと てい ちょう に迎へんと
  10. たゞち これ とう 光秀に
  11. きょう おう の役をぞ めい ぜらる
  12. おん けなせし光秀は
  13. 乱れたる世に心得し
  14. 都の手振見せばやと
  15. さしも タク つと めしを
  16. 小人 しょうじん ばら げん により
  17. 善美 ぶん ひょう を受け
  18. しん あん は信長の
  19. 胸にやどりし時も時
  20. 羽柴秀吉中国より
  21. たす けの兵を ひしかば
  22. げん めい たちま ち光秀の
  23. こうべ の上にぞ くだ りける
  24. 光秀 ひそ かに思ふやう
  25. 人もあらんに此の我に
  26. 羽柴が めい に従へとは
  27. あな情けなの我君やと
  28. 歯がみをなして うら みしは
  29. 君に ツカ ふる人臣の
  30. よも有るまじき事なれど
  31. また信長を見る時は
  32. 大将とも アオ がるゝ身に
  33. ぼう の振舞いと多く
  34. 或時は蘭丸をして
  35. 光秀が こうべ テッ セン を加へさせ
  36. 又或時は好まぬ酒を殊更に
  37. 我意 がい とう して すゝ めしめ
  38. 志賀の都の領地さへ
  39. とせ の内には事なくも
  40. うば ひ返さん せつ を聞く
  41. 今又 さん をかたむけて
  42. あらた に来りし家康に
  43. 心づくしの 饗応 もてなし
  44. 琵琶湖の水の あわ と消え
  45. 押へし ほのお むらむらと
  46. ゆる思ひの光秀が
  47. こぶし にぎ りて立上り
  48. 動く 睫毛 まつげ あいだ より
  49. 由々 ゆゝ しき大事のほの見えしを
  50. 露だも知らぬ信長は
  51. 諸将を づち とゞ め置き
  52. みづか きん しん 百余人
  53. 引従へて 京都 みやこ なる
  54. 本能寺にぞ入りにける
  55. 時こそ来れと光秀は
  56. 一族郎党を り集め
  57. ぼう れい どう しい ぎゃく
  58. くわだ てしこそ浅ましけれ
  59. かくて士卒を打 そろ
  60. 中国勢を たす けんと
  61. いつわ り向ふ大江山
  62. 心の駒も たま
  63. やみ を急ぐばかりにて
  64. 東を してぞ進みける
  65. ほん のう みぞ ノ深サ 幾尺 いくせき ナルゾ
  66. 我レ大事ヲ成スハ 今夕 こんせき ニ在リ
  67. こう そう 手ニ在リ こう まじ エテ くろ
  1. えん ノ梅雨天 すみ ノ如シ
  2. おい ノ坂西ニ去レバ備中ノ道
  3. むち ヲ揚ゲテ東ヲ ゆび ザセバ天猶早シ
  4. 我敵ハ正ニ本能寺ニ在リ
  5. 敵ハ備中ニモアリ汝 そな エヨ
  6. こゝに始めて軍勢は
  7. ヨウヤ 二心 ふたごころ さと りしが
  8. 捨つるいのちは一つぞと
  9. 時しも六月 二日 ふつか の朝まだき
  10. 露の かろ ぐん ぴょう
  11. 本能寺を取り囲み
  12. とき をつくりて攻め入りける
  13. 此の物音に信長は
  14. ざめ の耳を そばだ つれば
  15. まご ふ方なき人馬の声
  16. やかた 間近く聞ゆるにぞ
  17. まくら を蹴って立上り
  18. く見届けよとありければ
  19. 森の蘭丸かしこまり
  20. 表の かた に走り出で
  21. 見越の松に のぼ
  22. ふりさけ見ればこは 如何 イカ
  23. 雲か霞か白旗に
  24. 染めたる 桔梗 ききょう 紋所 もんどころ
  25. 見るより蘭丸引返し
  26. 光秀 ほん と答ふるに
  27. かっと怒りて信長は
  28. 者共 モノドモ 覚悟と ヨバ はりて
  29. 弓矢おっ取り立向ふ
  30. 寄せ る敵を物ともせず
  31. 瞬間 またゝくひま じっ
  32. 矢つぎ ばや て落し
  33. 勢ひ鋭く ふせ ぎしも
  34. 只一と筋と信長が
  35. たの 弓弦 ゆんづる フッツと切れ
  36. 得たりとつけ入る ごう てき
  37. すかさず弓もて打て伏せ
  38. とかくするうち信長は
  39. 左手 ゆんで かいな いた を負ひ
  40. 蘭丸代って ふせ ぐうち
  41. 宿直 とのい の者もことごとく
  42. ココ を先途と戦へども
  43. 衆寡 シュウカ 敵せず信長は
  44. はや是迄とや思ひけん
  45. みづか やかた に火を放ち
  46. けむり なか に飛び入りて
  47. やいば に伏してぞ果てにける
  48. あゝ 豪邁 ごうまい の信長が
  49. 空をも おゝ はん 大鵬 たいほう
  50. なん つばさ 中空 なかぞら
  51. えん じゃく のため なや まされ
  52. 終世 しうせい の望み絶えたるは
  53. 獅子 しし 身中の虫に たを れたる
  54. そしり こう に伝へけり
  55. 続いて蘭丸を始めとし
  56. ぼう まる りき 丸の小姓ども
  57. まだ 末若 うらわか
  58. 嵐の山の朝風に
  59. いとも ゆか しき めて
  60. 散るやちりぢり あと や先
  61. 百有余人 諸共 モロトモ
  62. 哀れ本能寺の けむり と消えにける
  63. つらつら古今を あん ずるに
  64. 人に君たる王 こう
  65. 心すべきは徳にこそ
  66. 心すべきは徳にこそ
  • 1.-4.

    戦国時代世は乱れ
    武将は誰も力をたくわえ
    剣を磨く心がけ

  • 5.-7.

    天正十年夏の頃
    徳川家康あたらしく
    領地たまわるその礼に
    安土の城にやって来る

  • 8.-15.

    それを迎える織田信長は
    明智光秀呼び出して
    接待役に指名した
    うけたまわった光秀は
    これこそ腕の見せどころと
    見事立派につとめたが

  • 16.-19.

    心の狭い者がいて
    あの接待は度が過ぎると
    噂したので信長も
    疑心暗鬼になった頃

  • 20.-23.

    備中にいる羽柴秀吉
    援軍頼むと言ってきた
    そこで今度は光秀に
    出陣せよと御命令

  • 24.-30.

    光秀心に思うには
    「こともあろうにこの私に
    羽柴の下で働けとは
    あら情けない上様」と
    歯ぎしりをして恨むのは
    家来の道ではないけれど

  • 31.-33.

    しかし思うに信長は
    高い身分にありながら
    手荒なことが多かった

  • 34.-37.

    ある時は森蘭丸に
    鉄の扇で光秀の
    頭を打たせたこともある
    飲めない酒を光秀に
    無理強いをしたこともある

  • 38.-40.

    今の領地の志賀でさえ
    罪もないのに三年後
    取り上げられるかもしれぬ

  • 41.-49.

    今度も金を惜しまずに
    心をこめて家康を
    もてなしたのも水の泡
    心の中でめらめらと
    燃える思いの光秀が
    拳を握る眼の色に
    決意のほどが見えたのを

  • 50.-54.

    何も知らない信長は
    主な武将を安土に残し
    わずか百人引き連れて
    向かう都の本能寺

  • 55.-58.

    さあ時が来たと光秀は
    軍勢すべて引き連れて
    主君殺しを企てた
    世にあさましいことではある

  • 59.-64.

    ともあれ揃う明智勢
    援軍として備中に
    行くふりをする大江山
    心も暗い夜の道
    東に向けて進みゆく

  • 65.-72.

    「本能寺堀の深さはどれほどか」
    今夜わたしは事をなす
    そう決意した光秀が
    粽手にして茫然と
    皮もむかずに食べている
    あたりは雨が降りこめて
    空の暗さは墨のよう
    老の坂は別れ道
    西に向かえば中国路
    しかし東を指さして
    「敵は正しく本能寺」
    いや光秀よ本当の
    敵は備中油断をするな

  • 73.-79.

    かくして明智の軍勢は
    殿様謀叛とわかったが
    どうせ一度は死ぬ命と
    六月二日の朝はやく
    本能寺を取り囲み
    おめき叫んで攻め入った

  • 80.-85.

    音に目覚めた信長が
    聞けば確かに人馬の声
    枕を蹴って立ちあがり
    「何があったか見届けよ」

  • 86.-91.

    そう命ぜられて蘭丸は
    庭の松木にかけのぼり
    ふと上空を見上げると
    寄せ手の掲げる白旗に
    何と桔梗の紋所

  • 92.-96.

    とって返して蘭丸が
    「光秀謀叛」と告げたので
    かっと怒った信長は
    「みな覚悟せよ」と叫びつつ
    弓おっ取って立ち向かう

  • 97.-104.

    寄せ来る敵にひるまずに
    あっという間に数十騎
    次々に射て防いだが
    只一本の頼みの綱
    弓の弦さえふっと切れ
    しめたと進んでくる敵は
    そのまま弓で叩き伏せる

  • 105.-114.

    やがて左の腕に傷
    主にかわって蘭丸や
    居合わせた者皆すべて
    死力を尽くして戦うが
    多勢に無勢信長も
    「もはやこれまで」観念し
    みずから館に火をかけて
    煙の中で自刃した

  • 115.-121.

    気宇壮大の信長の
    大鵬にも似たこころざし
    それを小鳥に遮られ
    一生かけた大望が
    道の半ばで絶えたのは
    身内に裏切られたからと
    世にそしられることもある

  • 122.-129.

    主に続いて森蘭丸
    更に坊丸・力丸も
    朝の山から吹く風に
    若い桜の花散らし
    後にゆかしい香を残す
    散ってゆくのは誰が先
    百人あまりの者たちが
    煙と消えた本能寺

  • 130.-133.

    よくよく歴史を思うなら
    人の上にも立つ者は 徳を積むのが大切だ

注釈

1. 麻…もつれ乱れたさまの例え。2. 人とし言へば誰もかも…人は誰でも。5. 天正十年…西暦1582年。6,1. 徳川家康…当時、戦国大名として信長と同盟関係にあった。6,2. 封ぜられ…領地を与えられ。この時家康は信長から駿河国を拝領した。7. 安土城…近江安土にあった信長の居城。8. 織田右大将信長…織田信長。天正三年に右近衛大将に任じられている。10. 惟任光秀…明智光秀。「惟任」は天正三年に朝廷から賜った姓。14. 都の手振…都風の流儀。16. 小人…心の小さな者。悪人。17. 善美過分の評…家康に対する接待が分不相応で過剰であるとの評。20. 羽柴秀吉…後の豊臣秀吉(1537-1598)。この時は信長に仕える武将の一人で、備中に在陣し毛利家の軍勢と対峙していた。21. 援けの兵…援軍。22. 厳命…中国に出陣し羽柴秀吉を支援せよという命令。25. 人もあらんに…他にも人がいるであろうに。光秀の自負を示すことば。28. 歯がみ…歯ぎしり。29.-30. 君に仕ふる人臣のよも有るまじき事なれど…主に仕える臣下としてあってはならないことではあるが。31. 信長を見る時は…信長について考えるならば。34. 蘭丸…森蘭丸。信長の小姓。35. 光秀が頭に鉄扇を加へさせ…信長が光秀を叱責し、蘭丸に命じて光秀の頭を扇の鉄の要で打たせる、という場面が光秀の登場する作品の多くに見える。36. 或時は好まぬ酒を殊更に…信長は宴席で下戸の光秀に酒を強いたという記事が『日本外史』等の諸書に見える。37. 我意…わがまま。38.-40.志賀の都の領地さへ三年の内には事なくも奪ひ返さん説…近江志賀郡は、この時は光秀の領地であったが、かつて蘭丸の亡父森可成の領地であったので、蘭丸が取り戻したいと信長に願ったところ三年待てと言われた、それを知った光秀が自身の三年後を危惧した、という逸話が『陰徳太平記』『日本外史』等の諸書に見える。39. 事なくも…簡単に。41. 産をかたむけて…私財を投じて。44. 琵琶湖の水の泡と消え…光秀は饗応役を解任されたことに憤り、用意した食材や調度品などをみな琵琶湖に投げ捨てた、という逸話が『川角太閤記』等の諸書に見える。50. 露だも…少しも。「だも」は「だにも」の転。54. 本能寺…変の当時は四条西洞院に存した。56. 一族郎党…家来たち。主家と血縁関係にある者を一族といい、それ以外を郎党という。57,1. 暴戻無道…暴悪で人の道にはずれていること。57,2. 弑逆…反逆。主君を殺すこと。60. 中国勢…備中に出兵している羽柴勢。61. 大江山…「大枝山」あるいは「老の山」とも。京都の西に位置するので、丹波亀山から京都に進む場合はこの山を越えねばならない。62. 烏羽玉の…「やみ」にかかる枕詞。64. 東を指してぞ進みける…本来の進行方向の西ではなく、京に向けて進発したことを意味する。65. 本能寺溝ノ深サ幾尺ナルゾ…光秀は事変の直前、愛宕山に参詣して連歌を興行し、有名な「時は今天が下しる五月かな」の句を詠むが、『日本外史』等ではその折、光秀が無意識のうちに「本能寺の堀の深さはどれほどであろうか」などとつぶやいたとする。67,1. 糠糟…「粽茭」が正しい。粽のこと。67,2. 糠…「茭」が正しい。粽を包んでいる葉のこと。やはり『日本外史』等では、愛宕山で光秀はまた、放心のあまり粽を皮のまま食べてしまったという。但しこの逸話は文献によっては、山崎合戦の直前すなわち信長を討ち取った後のこととされている。68. 四檐…四方の軒。69,1. 老坂…老(おい)の坂。老の山にあった峠の名。69,2. 備中ノ道…備中へ向かう道。備中は現在の岡山県の一部。70. 天猶早シ…まだ早朝であった。72. 敵ハ備中ニモアリ汝能ク備エヨ…光秀が本能寺にある信長を指して「敵」といったのに対して、光秀の真の敵は備中にいる秀吉であることを心得よ、と詩の作者が説いた句。74. 二心…主君に背く心。76. 朝まだき…まだ朝早い時刻。79. 鬨…合戦を始める際に叫ぶ声。81. 耳を欹つれば…音を聞くために耳を傾けると。82. 紛ふ方なき…間違いなく。85. 疾く…急いで。88. 見越の松…塀の外からも見える松の木。89. ふりさけ見れば…振り向いてみると。91. 桔梗の紋所…光秀の家紋。92. 見るより…見てすぐに。96. おっ取り…「押し取り」の転。急いで取り上げ。97. 物ともせず…問題とせず。簡単に。102. 弓弦…弓に張った弦。103. 得たり…しめた。106. 左手…弓を持つ手の意で、左手を「ゆんで」という。108. 宿直…警護などのために宿泊すること。109. 茲を先途と…奮戦するさま。110. 衆寡敵せず…味方が少数で敵の多数にかなわず。111. はや是迄…もうこれで最後だ。115. 豪邁…気性が強い。116. 大鵬…古代中国の伝説にあらわれる巨鳥。117,1. 図南の翼…大鵬が南をめざして飛ぶための翼。大きな志のたとえ。117,2. 中空…中途半端なところ。118. 燕雀…小さな鳥のたとえ。119. 終世の望み…一生の大望。120. 獅子身中の虫…味方の中にいながら敵となる者。121,1. 謗…批判。121,2. 口碑…世間の言い伝え。123. 坊丸力丸…森力丸・森坊丸。いずれも蘭丸の弟。124. 末若き稚子桜…年若い森兄弟を桜にたとえた表現。126. いとも床しき香を止めて…心引かれる香だけを残して。127. 後や先…先になったり後になったりして。130. 古今を按ずるに…歴史上の例を考えてみると。

『織田信長像』(狩野元秀 画)

音楽ノート

本曲は、現在の橘会において宗範という最高位にあった山崎旭萃師にとって特別な意味を持つものである。というのは、橘会の創始者である初代橘旭宗(1892-1971)から直門に入ることを許され、初めて直接指導を受けた曲だからである。それは1923年のことであるが、本曲はさまざまな面で難しく高度な技が要求されるため、初代旭宗が経験の浅い弟子にこの難曲を教えたというのは驚くべきことである。
曲は133行でやや長く、いくつかの「流し」に複雑な変奏がついており、豊かな表情をみせる弾奏部分がとりわけ印象的である。

本能寺(京都府)

物語の中心部は65行目から始まる8行からなる漢詩の吟詠(詩吟)である。通常、4行以上の漢詩が琵琶曲に挿入されることは稀である。本曲の漢詩は著名な詩人であり歴史家であった頼山陽の手によるよく知られた詩であるがゆえに、歌い手にとっては技量が試されるところである。とりわけ、物語の転換点を迎える70行目「鞭ヲ揚ゲテ東ヲ指ザセバ」からの、光秀がはっきりとわかるしぐさで心のうちの企みを表現する箇所は難題である。琵琶曲における詩吟は普通、旋律豊かに美しく歌われるものであるが、本曲では物語の意味を伝えるという語りの基本理念を忠実に守っているため、語りのように歌わなければならないのである。