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都大路の
夜 は更けて -
草 木 も眠る丑満 の -
静けさ破る鐘の
音 -
陰 に籠 りて響くなり -
さても渡辺の
源 次 綱は -
都の九条
羅生門 にて -
鬼 神 の腕 を切り取りて - 武名天下にあげけるが
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かゝる
悪 鬼 は七日の内に - 必ず仇をなすなりと
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阿部の
晴 明 が勘 文 により -
綱はひそかに
物忌 して -
仁王 経 を読誦 なし -
門 を閉 ぢてぞゐたりける - 既に今宵は七日目の
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忌 明 の夜 となりぬれば - ものにこらへぬ剛勇の
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綱はいさゝか
倦 み心地 - あら気づまりの物忌やと
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所在 なげにぞ見えにける -
一 と村雨 の降り過ぎて -
ひそけさまさる
巷 路 に - 月はおぼろに白絹の
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打掛 着たる一人 の老婆 - いづくともなく現れて
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門 ほとほとと打叩く - 聞くより綱はいぶかしみ
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かゝる夜更にわが
門 を -
おとづれ給ふは
何人 ぞ - これは津の国渡辺の里より
- はるばる訪ね来りたる
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和 殿 が伯母に候よ -
此の
門 ひらき給へやと - 言はれて綱は声高く
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仔細あって物
忌 なれば -
門 の内へは叶はず候 - 今宵あけなば対面せん
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ひとまづ
御 帰り候へと -
いと
本意 なげにぞ答へけり -
あら
曲 もなや - ふるさと遠く老の身の
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杖を力に
辿 りつゝ -
漸 くこゝにつきの弓 -
二 重 にたわむ姿をも -
憂 しと思はで来りしを - つれなく去れと申すかや
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そも和殿が
幼 き頃
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伯母がみづから
抱 きやり - 暑さ寒さをしのがせて
- 育てあげたる大恩を
- 忘れ果てしか情なや
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邪見 の者よと口説 きつゝ - 声をあげてぞ泣きにける
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さしもに
猛 き渡辺も - 伯母の嘆きにほだされて
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是非なく
門 を押開き -
奥の一間に
請 じ入れ - 厚くもてなす其内に
- 伯母は形を改めて
- いかに綱
- この程和殿が羅生門にて
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鬼神の
腕 を切り取りし - 武勇は天下にかくれなし
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して其の
腕 はいづこにありや - 一と目なりとも見せ候へと
- 乞はれて綱はひとたびは
- 固く断り申せしが
- たっての望みに否みかね
- すなわち之にて候と
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唐 櫃 の蓋 押し開き -
伯母の前にぞ
直 しける -
其時伯母はかの
腕 を - ためつすがめつしげしげと
- 眺め眺めてゐたりしが
- 怪しやな
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次第次第に
面 色 かはり -
つッと
腕 を取るよと見えしが - 忽ち鬼神の姿となり
- 風を起して飛び立ちさま
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破 風 を蹴破り逃げんとす - おろかや綱
- 吾こそ茨木童子なり
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わが
腕 を取返さんため - これまで来ると知らざるか
- あら笑止やと叫ぶ声
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虚 空 に響きて物凄し - 綱は怒って足ずりなし
- 計られつるか無念やと
- 太刀抜き放ち追ひすがり
- 斬らんとすれど時すでに
- 鬼神は早も虚空にあり
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あたりは
黒雲 巻き起り - 姿はつひに消え失せけり
- 姿はつひに消え失せけり
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1.-5.
都大路の夜は更け
皆、寝静まった真夜中に
鐘の音、不気味に鳴り渡る。 -
6.-14.
さて、渡辺の源次綱が
羅生門にて鬼神の
腕を斬ったとの噂
武勇伝と称えられる。
しかし執念深い鬼神は
七日のうちに現れて
きっと敵を討ちに来る。
阿部清明の忠告に
綱は密かに家に籠もり
仁王経読み息ひそめる。 -
15.-26.
そうこうするうち時が経ち、
物忌最後の夜がきた。
我慢強い綱なれど
いささか退屈、もてあまし
早く明日が来ぬものか。
雨の上がった街並みに
静かに月の影がさす。
いつのまにやら、どこからか
白衣の老婆現れて、
門をとんとん叩いていた。 -
27.-39.
こんな夜更けに誰だろう。
不審に思ってたずねると
「私は摂津は渡辺の
里より来ました伯母ですよ。
門を開いてくだされな」
言われて綱は大声で
「事情があって今晩は
門を開けることできませぬ。
夜が明けたら会いましょう。
ひとまずお帰りください」と
残念そうに返答した。 -
40.-46.
「ああ、なんと冷たいお言葉よ。
古里遠くはるばると
腰のまがったこの老体
奮い立たせて杖をつき
都を目指してまいったに。
かわいそうとも思わずに
つれなく帰れと言われるか。
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47.-58.
そもそも御身の幼いころ
私がこの手で抱き上げて
後生大事と育てたこと、
忘れ果てたとは情けない。
恩知らず者よ」と
泣きじゃくる。
さすがの綱もこれを聞き
やむなく門を押し開き
伯母を家内に招き入れ、
手厚くもてなすそのうちに -
59.-71.
伯母は居住まい改めて
「さてさて、綱よ。あの噂、
御身がこのほど鬼神の
腕を斬ったという話、
天下の武勇と響いている。
その腕、どこにあるのです。
見せてくだされ、一目でも」
綱はひとたび拒んだが
伯母のたっての願いとて
「さあ、ここにあります」と
唐櫃の蓋、押し開けて
伯母の前に差し出した。 -
72.-80.
伯母はその腕、しげしげと
ためつすがめつ眺めてる。
怪しいことにそのうちに
形相次第に変わりゆき、
腕をとったその瞬間、
たちまち鬼神に様変わり。
風を起こして飛び立って
屋根抜け逃げていくところ。 -
81.-94.
「愚かな綱よ、われこそは
茨木童子よ、我が腕を
取り返そうとここへまで
来たのを知らぬか、おもしろや」
空に響いた鬼の声。
綱は怒りに打ち震え
地団駄踏んで悔しがる。
まんまと罠にかかったか、
残念無念と太刀を抜き
斬ろうとしたが鬼神は
とうに姿は雲の中
空のかなたに消えていく。