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kyara no kabuto

伽羅の兜

解説

慶長十九(1614)年十一月、徳川家康(1543-1616)の率いる諸大名の軍勢が豊臣秀頼(1593-1615)の籠もる大坂城を攻撃した。同年十二月に両軍の間で一旦の和議が成ったが、翌慶長二十年四月ふたたび戦端が開かれ、ついに豊臣方が敗れて秀頼やその母淀殿は自害し、豊臣家は滅亡した。秀頼の家臣であった木村重成(?-1615)も、五月六日の若江の戦いで井伊直孝の軍勢と戦い、敗れて討ち死にしている。
この大坂冬の陣および夏の陣の折に豊臣方として戦った武将たちの活躍は、後代の文学作品で採り上げられることが多かった。ただ江戸時代の出版界には、内容が徳川家や諸大名にかかわる書物は公刊できないという規制があったので、それらの人々が登場する作品は、出版物としてではなく実録と呼ばれる写本の形で流布した。大坂の陣を題材とした実録も数多く作られ、「難波戦記もの」と呼ばれる一群を形成している。もっともそれらは、「実録」という名とは裏腹に多くの虚構を含んでおり、しかもその虚構は時代が後になるほど増補された。木村重成についても、戦後その首級を実検したところ名香がたきこめられていたという逸話は諸書に載るが、その細部は作品によって異なっている。なお実録の内容は、江戸時代から明治時代以降にかけて、講釈師の語る講談という形でも普及した。また明治期には歌舞伎でも、坪内逍遥(1859-1935)作の『桐一葉』(1894-95)など木村重成が活躍する作品が数多く作られ上演されている。

参考文献

『難波戦記』(通俗日本全史) 早稲田大学出版部 1912
坪内逍遥『桐一葉・沓手鳥孤城落月』(岩波文庫) 岩波書店 1941
「奥州後三年記」『群書類従』第二十輯合戦部第一 群書類従刊行会 1952
旧参謀本部編纂『日本の戦史 大坂の役』(徳間文庫) 徳間書店 1994
高橋圭一『大坂城の男たち』 岩波書店 2011

あらすじ

天下統一の夢もつかの間、豊臣秀吉の亡き後、嫡子の秀頼が跡を継いだが、世は天下をうかがおうとする徳川が不穏な動きを始めていた。両者の和議も徳川によって破られ、関東勢が攻めてくるとの知らせが入った。秀頼の忠臣、木村重成は、家康の首をとらずには生きて帰るまいと決死の覚悟を決めていた。出陣を前にして重成は妻白菊とともに別れの杯を酌み交わし、謡をうたった。ただ、けなげな白菊は、戦を前にしてこのように遊んでいてもいいものか、しかも朝から一口も食物を口にしていないのでは立派な働きができぬと夫をいさめた。それを聞いた重成は、戦で喉を突かれて醜い死にざまをした末割四郎の話を引き、自分はそのような恥をかきたくないのだと言った。それを聞いた白菊は夫の覚悟を知り、何気ないそぶりでその場を立ち去った。やがて出陣の時が来た。重成は白菊をよんだが返事がない。居間に入るとそこには懐剣で喉を刺し、こと切れていた白菊の姿があった。傍らにはあの世で待つという手紙とともによい香りのする兜があった。白菊が武家のたしなみと、心を込めて香を焚き染めたのであった。重成は心を打たれ、奮い立った。
夜が明け、井伊直孝の軍勢が攻めてきた。重成は獅子奮迅の戦いを見せたが、とうとう力尽きた。首実検をした家康も伽羅の香る兜をつけた美丈夫を、武士の鑑と讃えたのであった。

木村重成像(作者不明)

  • 詞章
  • 現代語訳
  1. たい こう きて 蓋世 がいせい
  2. ゆう はいづこ大阪城
  3. 忠臣義士はありながら
  4. しょう じん 内にはびこりて
  5. 今は徳川家康の
  6. 其の じゅっ ちう おちい れる
  7. 家運の末を 如何 イカ にせん
  8. さても 豊臣 とよとみ 徳川の
  9. 和議は再び破れしかば
  10. 関東勢は諸道より
  11. 攻め寄せ きた ると聞えけり
  12. ここ 豊臣 とよとみ 右大臣秀頼の しん
  13. 木村 長門守 ナガトノカミ 重成は
  14. こたびは おゝ 御所家康の
  15. 首を我手にあげざれば
  16. 生きて再び カエ らじと
  17. 覚悟定めて こん じょう
  18. 名残 ナゴリ に妻の白菊と
  19. 別れの さかづき かわ
  20. やがて つゞみ 調 しら べつゝ
  21. ウタ ふや須磨の一曲に
  22. 難波 なにわ あし 短夜 みじかよ
  23. くるを知らぬ ぜい なり
  24. 白菊 とし は若けれど
  25. さすが けな の心より
  26. おっと の身の上 うれ ひつゝ
  27. 此の のぞ み悠々と
  28. 遊び楽しみ給ふこそ
  29. いとも なくおもほゆれ
  30. わけて 今朝 けさ よりは いち りう
  31. おん 食事さへ召し給はず
  32. しも コノ まゝ戦場に
  33. 出でさせ給ふことならば
  34. 日頃の勇気も にぶ らせて
  35. 思ひのまゝの おん はたら きも
  36. 如何 いかゞ あらんとかひがひしく
  37. 真心 まごころ こめてぞ いさ めける
  38. 重成 かたち を改めて
  39. そもじ聞かずや其の昔
  40. 八幡 はちまん 太郎の うち にて
  41. 末割 すえわり 四郎といへる しゃ
  42. 敵に のんど とう され
  43. 其の 傷口 きずぐち より いゝ
  44. みにく き最 を遂げしとぞ
  45. かゝ 恥辱 ちじょく のち の世に
  46. 残さんことを気 づか ひて
  47. 吾は食事を取らぬぞと
  48. 云へる言葉に白菊は
  49. にも おっと のいさぎよき
  50. 覚悟の程を今さらに
  51. さと りて深く感じ入り
  52. なに なき様 よそお ひて
  53. ふと其席を立去りぬ
  54. カカ りし程に出陣の
  55. 時刻迫れば重成は
  56. 二度 ふたたび 三度白菊を
  57. 呼べど答のあらざれば
  58. 常の居間へと行き見るに
  59. こはそも如何に何事ぞ
  60. かい けん のんど つらぬ きて
  1. あけ に染りて打伏せり
  2. 重成驚き抱き上ぐれば
  3. 早玉の緒も絶え果てゝ
  4. ほどこ すべ もなかりけり
  5. あたり を見れば 一封 いっぷウ 遺書 かきおき
  6. 取る手 おそ しと読み くだ せば
  7. 一足 ひとあし 先に死出の山
  8. 越えて めい に待たんとの
  9. いと うる はしき筆の跡
  10. しゅ しょう の覚悟に重成は
  11. 暫時 しばし 瞑目 めいもく がっ しょう
  12. やがて かど 準備 ようい とゝの
  13. いざと兜を手に取れば
  14. なか より かお めい こう
  15. 今はの きわ に白菊が
  16. 心と共に めし
  17. 其のたしなみと知られけり
  18. 今は勇気も百倍し
  19. はや りにはやる若駒に
  20. 打ち またが りて出陣す
  21. 晨鶏 しんけい 再ビ鳴イテ残月 うす
  22. 征馬 しき リニ いなな イテ こう じん
  23. 時しも げん 元年の
  24. 五月 六日 むいか 東雲 しののめ
  25. 早ほのぼのと明け渡る
  26. 空に なび くや旗 指物 さしもの
  27. 近づく敵の軍勢は
  28. 関東一の ごう の者
  29. 井伊 なお たか ひき いたる
  30. 一万余騎とぞ知られける
  31. あな物々しやと重成は
  32. 二千余騎にて け向ひ
  33. 矢庭に駒を おど らせて
  34. 敵陣深く突いて入る
  35. 槍の穂先は 電光 いなづま
  36. 空に ひらめ ゴト くにて
  37. 如何なる天魔 鬼神 おにがみ
  38. 敵せんやうぞなかりける
  39. かゝ る所に敵の 猛将 もうしょう
  40. 庵原 いおわら 助右 すけ もん 馳せ来り
  41. やり しご き突きかゝるを
  42. 重成 どう ぜず渡り合ひ
  43. りう の争ふ如くにて
  44. 暫し はげ しく戦ひけり
  45. さしも だれ の重成も
  46. ヶ所の深手身に負ひて
  47. 心は たけ はや れども
  48. 進退遂に きわ まりて
  49. あはれ二十二歳を一 とし
  50. 難波 なには あし に置く露の
  51. 玉と散りしぞ勇ましき
  52. キャ 焚き籠めし其の兜
  53. 忍びの緒さへ切り捨てゝ
  54. ちゞ めし ます 良雄 らを
  55. 実検 じっけん はれ
  56. 敵の大将家康も
  57. あっぱれ武士の かゞみ ぞと
  58. たゝ へし誉は 難波津 なにはづ
  59. 咲く花よりも かんば しく
  60. 万代 よろづよ かけて匂ふらん
  • 1.-7.

    豊臣秀吉既に亡く
    その志もむなしい大阪城
    忠義の家来はいるものの
    悪人たちもはびこって
    今は徳川家康の
    罠にはまって豊臣家
    そのゆく末はどうなるか

  • 8.-11.

    さて豊臣と徳川の
    和議は再び破られた
    関東勢は四方から
    攻め寄せてくるとの知らせ

  • 12.-23.

    ここに豊臣秀頼の
    忠臣木村重成は
    今度は大御所家康の
    首をこの手であげぬうちは
    生きて再び帰るまいと
    覚悟を決めてこの世の名残
    妻白菊と酒を飲み
    やがて鼓を打ちながら
    須磨の一曲謡ううち
    短い夜も更けてゆく

  • 24.-37.

    白菊は若くけなげもの
    夫のことを心配し
    「これからいくさという時に
    優雅に遊んでいらっしゃる
    よろしくないと存じます
    しかも今朝からひとつぶも
    食事を取っておられません
    このまま出陣されたのでは
    立派な働きできません
    いかがなものでありましょう」と
    真心こめていましめる

  • 38.-47.

    重成はあらたまり
    「そなたも聞いたことがあろう
    かつて八幡太郎の家来
    末割四郎という武者が
    いくさで喉を敵に射られ
    食った飯をそこから吐いて
    醜い死にざまだったそうな
    そんな恥をかかないために
    わたしは食事をしないのだ」と

  • 48.-53.

    言った言葉に白菊は
    夫のいさぎよい覚悟
    今さらながら感じ入り
    何げない様子のままで
    ふっとその場を立ち去った

  • 54.-58.

    やがてそのうち出陣の
    時が来たので重成は
    二度三度と白菊を
    呼んでも返事をしないため
    普段の居間に行ってみると

  • 59.-64.

    これは一体どうしたこと
    懐剣で喉を突き通し
    真っ赤に染まって倒れている
    驚き抱き上げてみたものの
    既に命は尽きていて
    どうすることもできはせぬ

  • 65.-69.

    あたりを見ると書き置き一通
    急いで取って読んでみる
    「一足お先に死出の山
    超えてあの世で待ってます」
    美しい字で書いてある

  • 70.-77.

    殊勝な覚悟に重成は
    しばらく目を閉じ手を合わせ
    そして門出の仕度を整え
    いざと兜を手に取れば
    その中からはよいかおり
    これこそ最期に白菊が
    心をこめて焚いた香
    そのたしなみを示すもの

  • 78.-82.

    重成は勇気をふるい
    馬にまたがり出陣する
    夜明けを告げる鶏に
    うっすら空に残る月
    軍馬しきりにいなないて
    人は戦地へ歩み出す

  • 83.-90.

    時に元和元年の
    五月六日の朝早く
    空もほのぼの明けてゆく
    旗指物をなびかせて
    近づく敵の軍勢は
    関東一と名も高い
    井伊直孝の一万騎

  • 91.-98.

    「ああ大げさな」と重成は
    二千騎ひきいて立ち向かい
    馬を駆けさせ敵陣に
    突き入れたその槍先は
    あたかも電光ひらめくよう
    いかなる鬼であろうとも
    到底かないそうにない

  • 99.-104.

    そこに走ってやってきた
    敵将庵原助右衛門
    槍をしごいて突きかかる
    重成あわてず相手となり
    竜虎の争う激しさで
    しばらく戦い続けたが

  • 105.-111.

    さすがに強い重成も
    いくつも負った深い傷
    いくら心がはやっても
    ついに身動きかなわずに
    二十二歳の一生を
    難波に散らす勇ましさ

  • 112.-120.

    伽羅の香かおるその兜
    忍びの緒さえ切っておく
    決死の覚悟の美丈夫に
    首実検の場に臨む
    敵の大将家康も
    あっぱれ武士の鑑だと
    褒めたたえたその名誉
    難波の花よりかんばしく
    いつの世までも匂うだろう

注釈

1. 太閤…豊臣秀吉。本来は関白の位を譲った者に対する称だが、一般に秀吉を指すことが多い。2. 雄図…雄大な意図。4. 小人…心の狭い人間。悪人。5. 徳川家康…江戸幕府の初代将軍。大坂の陣で勝利を収め、天下を完全に徳川家のものとした。6. 術中に陥れる…謀略にかかる。7. 家運の末…家の運勢が傾いたこと。9. 和議は再び破れしかば…大坂冬の陣は慶長十九年十二月に両軍の間で和議が成ったことで終結したが、その和議は翌二十年四月に破れ、夏の陣の戦端が開かれた。12. 豊臣右大臣秀頼…豊臣秀吉の遺児。慶長十(1605)年に右大臣に任ぜられた。13. 木村長門守重成…豊臣秀頼の重臣。冬の陣の講和に際しても豊臣方の使者として活躍したという。14. 大御所…隠退した将軍の敬称。徳川家康は慶長十(1605)年に将軍職を息子の秀忠に譲り、以後は「大御所」と称した。17.-18. 今生の名残…この世での別れを惜しむこと。18. 白菊…重成の妻の名は作品によって異なり、「青柳」とする例が多い。21. 須磨の一曲…須磨を舞台とした謡曲に『松風』『須磨源氏』『敦盛』などがある。そのいずれかと思われる。22. 難波の葦の短夜も…平安時代の女流歌人伊勢の歌に「難波がた短き葦の節の間もあはでこの世を過ぐしてよとや」とあるように、難波の地は葦の名所として知られ、また葦は節の間が短いことから「短夜」につながる。29. 本意なく…不本意なことに。38. 容を改めて…あらたまった姿勢・表情で。39. そもじ…そなた。40. 八幡太郎…源義家(1039-1106)。平安時代に活躍した源氏を代表する武士で、武勇で知られた。41. 末割四郎…源義家の郎党。後三年の役を描いた『奥州後三年記』に、出陣前に大食した末割四郎が首を射られるとそこから飯がこぼれたという逸話が伝わる。54. 斯かりし程に…そうこうしているうちに。58. 常の居間…普段生活している居間。60. 懐剣…懐に入れておく短刀。63. 玉の緒も絶え果てゝ…絶命して。64. 施す術もなかりけり…どうしようもなかった。66. 取る手遅しと…急いで取るさま。67. 死出の山…死ぬに当たって越えてゆく山。68. 冥土…あの世。71,1. 瞑目…目を閉じること。71,2. 合掌し…手を合わせ。75. 今はの際…死ぬ間際。79. 若駒…若い馬。81. 晨鶏再ビ鳴イテ残月薄ク…以下2行は白居易「生別離」の一節で、坪内逍遥作の歌舞伎『桐一葉』では、片桐且元が大坂城を退去する場面で引用されている。82,1. 征馬…戦場に向かう軍馬。82,2. 行人…出征する兵士。83. 元和元年…西暦1615年。但し改元されたのはこの年の七月十三日で、夏の陣が終結した五月はまだ慶長二十年であった。84,1. 五月六日…西暦1615年6月2日。84,2. 東雲…夜が明け東の空が白くなる頃。86. 旗指物…戦場で目印として用いる旗。89. 井伊直孝…徳川家康の重臣。91. 物々しや…大袈裟だ。97. 天魔鬼神…悪魔や鬼。98. 敵せんやうぞなかりける…太刀打ちできそうになかった。100. 庵原助右エ門…庵原朝昌。井伊直孝の重臣。若江の戦いで木村重成を討ち取ったのは、一般に井伊家の安藤長三郎であるとされるが、別に、助右衛門が討ち取ったもののその功を長三郎に譲った、とする逸話も伝わる。101. 扱き…握ったままこすり。103. 龍虎の争ふ如くにて…激しく争うさま。105. 手垂…熟達した。106. 深手…重傷。107. 弥猛に…いよいよ激しく。108. 進退遂に谷まりて…進むことも退くこともできなくなって。109. 二十二歳を一期とし…二十二歳で一生を終え。但し重成の没した年齢は未詳で、一説には三十五歳であったともいう。112. 伽羅…代表的な香木の一種。なお重成がこの時たきこめた香を蘭奢侍とする作品も多い。113. 忍びの緒…兜をあごにしばりつける紐。家康が重成の首実検をしたところ忍びの緒が切られていたので、戦死を覚悟していたことを知った、という逸話が伝わる。114. 益良雄…勇壮な男性。115. 首実検…討ち取った者の首をよく見て、本人のものかどうか確認すること。

武士の兜

音楽ノート

本曲は若き武士重成とその妻白菊の感動的な愛を描く物語である。それぞれ武士の模範および献身的な妻の鑑として描かれている。
明治時代(1868-1912)において「白菊」といえば、落合直文の「孝女白菊の歌」がよく知られていた。この詩は、行方知れずになった父を求めてひとり、旅に出る「白菊」を孝行娘の鑑として称えるものであるが、広く流布していたため、ドイツ語や英語に翻訳されるまでになったのである。このように筑前琵琶が最も盛んであった20世紀前半には、二人の「白菊」が道徳の理想とされていた。

木村長門守重成表忠碑(大阪府)

さて、琵琶曲では、抒情的な合いの手に「桜」や「椿」といった花の名前がついている。皇室にまつわる曲では「菊」が使われることが多い。本曲では登場人物にちなんで、「白菊」とよばれる合いの手がヤマ場で効果的に使われている。具体的には77行目の、重成が、愛する妻が思いを込めて兜に香を焚き染めたことに気づいた場面の後に演奏される。この合いの手が終わった後、78行目で雰囲気はがらりと変わり、最も高い音域で語られる戦いの場面が始まるのである。