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衣川

解説

兄頼朝に追われ逃避行を続けていた源義経であるが、文治三(1187)年頃には平泉に入って藤原秀衡(1122?-1187)の庇護を受けたようである。そこで義経は、衣川にほど近い高台に館を与えられた。これを高館 (たかだち)と称する。ところが同年十月二十九日、秀衡は病没してしまった。その嗣子泰衡に対して頼朝は、義経を差し出すよう圧力をかけ続ける。遂に文治五年閏四月三十日(1189年6月15日)、泰衡の軍勢が高館を攻撃し、多勢に無勢の義経は持仏堂で自害した。享年三十一歳であった。その最期の合戦のありさまは『義経記』に詳しく描かれるところであり、本曲も『義経記』に拠る点が多い。なお泰衡は、義経の首級を鎌倉に差し出し恭順の意を示したが、それにもかかわらず頼朝は、謀叛人義経を匿ったという口実で奥州を攻め亡ぼし、同年九月には泰衡も殺された。頼朝の本意はあくまで奥州の制圧にあったのである。

参考文献

島津久基『義経伝説と文学』 大学堂書店 1935
岡見正雄校注『義経記』(日本古典文学大系) 岩波書店 1959
梶原正昭校注『義経記』(新編日本古典文学全集) 小学館 2000
上横手雅敬編『源義経 流浪の勇者』 文英堂 2004
志村有弘編『源義経 謎と怪奇』 勉誠出版 2005
角川源義・高田実『源義経』(講談社学術文庫) 講談社 2005
五味文彦『物語の舞台を歩く 義経記』 山川出版社 2005

あらすじ

源義経は兄頼朝に追われて逃避行を続け、藤原秀衡に救いを求めて奥州までくだっていった。平泉では秀衡の手厚い庇護を受け、高館という館まで与えられた。やがて、秀衡は病を得て、亡くなってしまう。その息子、泰衡は頼朝からの圧力に耐えかね、とうとう義経を高館に討つことにした。泰衡の兵に比して義経の手兵は十数人という、多勢に無勢、負け戦は濃厚となった。都では勇名を馳せたつわものたちを蝦夷の片田舎で死なせる不憫を思いつつ、義経らは別れの盃を交わすのであった。腹心の兵らは善戦したが力つき、弁慶も見事な戦いぶりであったが深手を負い、義経に命運も尽きたと進言したのち、立ったまま眠るように往生した。義経は観念し、持仏堂で妻と子を手にかけたのち、自害した。ときに32歳の若さであった。

『芳年武者無類』より「九郎判官源義経 武蔵坊弁慶」(月岡芳年 画)

  • 詞章
  • 現代語訳
  1. ナガ むれば雲井の月
  2. 久遠 とわ の光はかはらねど
  3. 変り果てたる世の さま
  4. 名残 ナゴリ を惜む栄枯の夢
  5. 高館 たかだち 山の松が
  6. しょう しょう とわたるらん
  7. いた はしや義経公
  8. たぐ マレ なる 勲功 いさをし
  9. じゅ の臣に そこな はれ
  10. 都をあとに 遠近 オチコチ
  11. 雪に 彷徨 さまよ 関水 セキミズ
  12. うち かれつゝ 陸奥 みちのく
  13. はに の宿に かく れしが
  14. 叔父 おじ ヒデ ヒラ せし あと
  15. マタ もや めぐ 苧環 おだまき
  16. 非運の うき 繰返 クリカエ
  17. 不信の 徒輩 やから 泰衡 ヤスヒラ
  18. そむ かれ給ふぞ是非もなき
  19. 時は文治五年 皐月 サツキ ナカバ
  20. こゝ 陸奥 みちのく 初夏 はつなつ
  21. 日も 入相 イリアイ の鐘の
  22. やがて暮れ行く 衣川 コロモガワ
  23. 義経 主従 しうじう の世を ぶる
  24. 高館 たかだち やかた には
  25. 灯火 ともしび かす かにかき立てゝ
  26. つど ふは僅か十余人
  27. そよ くず の葉に
  28. 在りし 往時 むかし の面影を
  29. シノ びも へで 湿 しめ やかに
  30. 明日 あす を待つ身ぞ哀れなる
  31. ヨセ の大将長崎 太夫輔 だいうのすけ
  32. ゼイ いまし の間より
  33. 月の まえ 宵闇 よいやみ
  34. マギ れて寄する やかた 間近
  35. 十重 トエ 廿 ハタ に取巻きて
  36. どっと 鯨波 とき をぞ上げたりける
  37. すわ事こそと弁慶が
  38. えん に立出で見渡せば
  39. 丘より河原に ウチ ツヅ
  40. 夜目 ヨメ にも しる 旗指物 ハタサシモノ
  41. 折しも昇る 十六夜 いざよい
  42. 月の光にひるがへる
  43. ユウ ならじと一座の勇士
  44. 刀おっ取り立上るを
  45. 義経 シバ しと押 しず
  46. 無惨やな 武士 もののふ
  47. 非運の しう に従ひて
  48. 死ぬに トコロ うしな ひぬ
  49. 都わたりの かっ せん
  50. 矢傷も負はぬ勇士等を
  51. 名もなき 蝦夷 えぞ の夏草に
  52. かばね 吸はさん びん さよと
  53. 土器 かわらけ 取りて次々に
  54. 別れを惜ませ給ひけり
  55. かゝる ヒマ にも 敵兵共 テキヘイドモ
  56. 内は 勢ぞ乗っ取れと
  57. わめ き叫んで押し寄する
  58. こは推参の 痴者 しれもの
  59. 弁慶を真先に
  60. 片岡備後 増尾
  61. 鷲尾 わしのを 杉目鈴木兄弟
  1. イズ れ劣らぬ勇士の面々
  2. 我れから まがき 踏み にじ
  3. へい うち破りて馳せ いづ れば
  4. その勢ひに おそ
  5. 敵は 方に散乱す
  6. 味方は 手練 てだれ の勇士にて
  7. シカ も必死を したれば
  8. 敵勢いかに ムラガ るとも
  9. 見る目は野辺の青 すゝき
  10. 刈りたつ暇も あら がま
  11. 風に ナビ かん景色にて
  12. 追詰 おいつめ かけ つめ 縦横無尽
  13. ココ セン と戦ひしが
  14. 衆寡 シュウカ 敵せず相 ぎて
  15. 討死せしこそ痛ましけれ
  16. 流石 サスガ 剛気の弁慶も
  17. しょ ふか に力
  18. 最早 いくさ も是までと
  19. 足踏みしめてやうやうに
  20. 君の ゼン マカ
  21. 薙刀 なぎなた 杖つき かしこ みて
  22. 今こそ御運の末と見 たてまつ
  23. 心静かに御 生害 ショウガイ をと
  24. 声も心も打ち ふる
  25. はらはらと落涙すれば
  26. 義経も声を うる ませ給ひ
  27. 五条の橋の 既往 むかし より
  28. 悲喜哀楽を とも にして
  29. カゲ カタチ に添ふ如く
  30. 離るゝ時はなかりしが
  31. 臨終 いまわ きわ にも汝のみ
  32. 長らへ れしぞ けな なる
  33. さはれ えみし 雑兵輩 やつばら
  34. が生害を見せんこと
  35. 不覚 此上 コノウエ あるべからず
  36. たとひ死ぬとも今 シバ
  37. 誓って敵を防げよと
  38. いたわ りながら のたま へば
  39. かしこま りぬと うな きつ
  40. 庭先にこそ立ち出でしが
  41. 其儘 ソノママ にして立ち すく
  42. 眠るが如く亡せにけり
  43. 義経はこのひまに
  44. さい の終りを見届けつ
  45. 三十二歳を一 として
  46. 遂に御生害あらせ給ふ
  47. 杉目の小太郎 コレ を見て
  48. ナミダ と共に火を放てば
  49. タチマ ち昇る レン 火焔 ほのう
  50. 樹々 キギ の緑も焼け落ちて
  51. 月も あかね にそまるべし
  52. シン たけ き秀衡が
  53. 心づくしの結構も
  54. 哀れ灰とぞなりにける
  55. 夏草や 武士 つわもの 共が夢の跡
  56. 今も 既昔 むかし の跡 へば
  57. の間 がく れにほとゝぎす
  58. エン の鐘に久方の
  59. 空も晴れ行く衣川
  60. 見果てぬ夢のみえがてに
  61. こけ す墓を とむ らはん
  62. 苔生す墓を弔らはん
  • 1.-6.

    月は昔と変わらぬが
    変わり果てたる世の姿
    高館に立つ松の枝
    今は風のみ吹きわたる

  • 7.-13.

    悲運の武将義経は
    立派な手柄を立てながら
    悪人に陥れられて
    都を落ちて諸国をさまよい
    昔なつかしみちのくの
    平泉の地にたどり着く

  • 14.-18.

    しかし頼みの秀衡が
    死んでしまったその後は
    再びかわるその運命
    頼みにならぬ泰衡に
    背かれたのは仕方がない

  • 19.-22.

    時に文治五年五月
    夏の日もはや夕暮れて
    鐘の音ひびく衣川

  • 23.-30.

    義経主従はそのほとり
    高館の館にわび住まい
    この時ここに集まった
    者はわずかに十数人
    葛の葉そよぐ音を聞き
    昔を思い出しながら
    明日を待っているばかり

  • 31.-36.

    寄手の大将長崎太郎
    月の出ぬうち闇夜に乗じ
    手勢率いて館を囲み
    どおっと上げる鬨の声

  • 37.-42.

    「さあ敵が来た」と弁慶が
    立って表を見渡せば
    ちょうどその時のぼる月
    川まで続く敵勢の
    旗指物を照らし出す

  • 43.-54.

    郎党たちは「今こそ」と
    刀を取って立ちあがる
    「待て」ととどめて義経は
    「武士は名誉を尊ぶが
    武運つたない主につくと
    よい死に場所も得られない
    都近くの合戦で
    大活躍したおまえたち
    こんな田舎にしかばねを
    埋めさせるは気の毒」と
    言って別れの杯を
    一人一人と酌み交わす

  • 55.-66.

    そうしているうち敵勢は
    「中は手薄だ討ち取れ」と
    おめき叫んで押し寄せる
    「推参者め」と弁慶に
    片岡・備後・伊勢・増尾
    鷲尾・杉目・鈴木兄弟
    いずれ劣らぬ勇士たち
    籬踏み越え塀破り
    こちらの方から打って出ると
    その勢いにおそれなし
    敵は四方に散ってゆく

  • 67.-76.

    味方は勇士しかも必死
    いくら攻め手が多くても
    見渡す限りの青草を
    鎌で刈るのと同じこと
    右に左に縦横にと
    力を奮い戦った
    しかしながら多勢に無勢
    郎党たちは次々と
    枕を並べ死んでゆく

  • 77.-86.

    さすが豪気の弁慶も
    深手を負って力尽き
    「もはやいくさはこれまで」と
    薙刀を杖に足ふみしめ
    義経の前に進み出る
    「最期の時が来たようです
    いざ尋常に御自害を」
    ふるえる声に流れる涙

  • 87.-99.

    義経も声うるませて
    「初めて会った五条橋
    それからずっとそのほうは
    うれしい時もつらい時も
    いつも私のそばにいた
    これから死のうという今も
    そこにいるのはありがたい
    蝦夷のやつらにわが自害
    見られたのでは不面目
    そなた死んでもあと少し
    何とか敵を防げよ」と

  • 100.-103.

    あつい言葉に弁慶は
    「かしこまった」と頷いて
    庭先に出て立ったまま
    眠るように息絶えた

  • 104.-107.

    そのすきをつき義経も
    妻と子供をみちづれに
    遂に自害をなしとげる
    享年わずか三十二

  • 108.-115.

    杉目小太郎これを見て
    涙ながらに火を放つ
    紅蓮の火焔たちのぼり
    樹々の緑も焼け落ちて
    月まで赤く染まるほど
    信義にあつい秀衡が
    心を尽くした高館も
    あとに残るは灰ばかり

  • 116.-123.

    夏草やつわものどもが夢の跡
    今その跡に来てみれば
    ほととぎす鳴き鐘が鳴る
    空も晴れゆく衣川
    つわものの夢はもう見えぬ
    せめて手向けをその墓に

注釈

1. 雲井…空。2. 久遠の光…いつまでも光り続ける月の光。5. 高館山…高館のあった山。「高館」については解説参照。6. 蕭々…ものさびしいさま。9. 膚受…讒言。人をおとしいれるための密告。10. 都をあとに遠近の…「あとに落ち」と「おちこち(遠近)」の懸詞。11. 関水…関所の近くを流れる水。ここでは関所に北行を妨げられたの意。13. 埴生の宿…故郷の家。義経は幼少期に平泉で過ごしたことがあった。14. 叔父秀衡…叔父のように慕っていた秀衡の意。15. 苧環…麻糸を巻いたもの。ここでは「復もや廻る苧環」で義経の運命が急転することの象徴。17. 泰衡…藤原泰衡(1155?-1189)。秀衡の嫡男であったが、父の遺命に背き義経を討った。19. 文治五年皐月の半…文治五年は西暦1189年。しかし義経が死んだのは閏四月三十日で、「皐月の半」は不審。21. 日も入相の鐘の音…「日も入り」と「入相の鐘」の懸詞。「入相の鐘」は日暮れ頃に鳴る鐘。22. 衣川…平泉の北に流れる川。23. 世を佗ぶる…つらい境遇に生きる。29. 偲びも敢へで…偲ぶこともできずに。31. 長崎太夫輔…『義経記』ではこの時の寄手の大将を「秀衡が家の子、長崎太郎太夫介」とする。36. 鯨波…とき。合戦の始めに士気を高めるために出す大声。37. すわ事こそ…さあ、来た。40,1. 夜目にも著き…暗い夜でもはっきりと見える。40,2. 旗指物…敵味方の別を明らかにするために鎧に着ける小さな旗。41. 十六夜…陰暦十六日の月。43. 猶予ならじ…もう待ってはいられない。48. 死ぬに処を失ひぬ…ふさわしい場所で死ぬことができない。49. 都わたりの…都の近辺での。51.-52. 名もなき蝦夷の夏草に屍吸はさん不憫さよと…このような辺境で討死させるのが哀れである。53. 土器…杯。別れに当たって杯のやりとりをした。55. かゝる暇にも…そうしているうちにも。56. 内は小勢ぞ…中にいる敵は少ないぞ。58,1. 推参…強引におしかける。58,2. 痴者…愚か者。60. 片岡備後伊勢増尾…「備後」はおそらく備前平四郎の誤り。他は順に片岡八郎・伊勢三郎・増尾十郎。いずれも義経の郎党として『義経記』に登場し、義経と最期を共にする。61. 鷲尾杉目鈴木兄弟…順に鷲尾三郎・杉目小太郎、そして鈴木三郎と亀井六郎の兄弟。このうち鷲尾と鈴木兄弟は義経の郎党として『義経記』に登場し義経と最期を共にするが、杉目小太郎は『義経記』には登場しない。江戸時代中期以降になると義経が衣川で死なず北方に逃げて生き長らえたという説が広く流布するが、その際に義経の身代わりとして死んだ人物として杉目小太郎の名が挙がることが多い。63. 籬…垣。67. 手練…すぐれた手腕の者。68. 必死を期したれば…必ず死ぬという決意だったので。70. 野辺の青薄…敵が大勢でもさほど強くはなさそうなさまを薄に例える。71. 暇も荒鎌の…「暇もあらず」と「荒鎌」の懸詞。74. 先途…重大な決戦。75. 衆寡敵せず…多勢に無勢でとうていかなわず。「衆」は多いこと、「寡」は少ないこと。80. やうやうに…やっとのことで。83. 御運の末…運命が尽きたこと。84. 生害…自害。88. 五条の橋の既往…義経と弁慶は京の五条橋で初めて出会ったという説話が中世以来広く知られた。90. 影の形に添ふ如く…いつも付き添い決して離れないことの例え。94. さはれ…ともあれ。102. 立ち窘み…弁慶は義経を守るべく立ちすくんだまま死んだとされる。その描写は『義経記』に詳しい。105. 妻子…『吾妻鏡』に義経は妻および四歳の女児と最期をともにしたと伝えられ、『義経記』にも妻子を道づれにする描写がある。106. 三十二歳を一期として…三十一歳が正しい。110. 紅蓮の…真っ赤な。炎を形容する常套句。113. 義信に猛き…忠義心にあついの意か。114. 結構…建物。116. 夏草や武士共が夢の跡…松尾芭蕉(1644-1694)が『奥の細道』の旅で平泉を訪れた際に秀衡や義経たちをしのんで詠んだ句。118. 樹の間隠れ…木々の間から見え隠れすること。121. みえがてに…見るのが難しく。

衣川(岩手県)

音楽ノート

『衣川』のテーマは、義経の最後の戦いという歴史的に重要な物語である。そのため戦いの場面が二度出てくるが、全体としては抒情的な曲であることに驚かされる。戦いの場というと刺激的な音楽劇が想像されるが、ここで重きを置かれているのは義経の嘆きである。本曲が抒情的な色合いを帯びている理由は、「開(ひらき)二」とよばれる前奏で始まるためであろう。こうした演目で「開二」の前奏をもつものは1割にも満たず、「開一」で始まるものが8割以上である(残りの1割は別の種類の前奏である)。
では、なぜ義経の悲劇を語るのに通常用いられない前奏が選ばれたのであろうか。音楽的構成をみてみよう。
一般的な「開一」は、主旋律のほとんどが最高音の五の糸で演奏されるため、物語の世界へ誘う始まりにふさわしいことは疑いもない。もし本曲の前奏も「開一」で始まっていたなら、「さあ、これから始まる物語に耳を傾けよ。偉業をなし、自己の意志を貫いた勇敢なる英雄の物語に」と聞こえることであろう。

高館義経堂(岩手県)

しかし、「開二」はそれほど勇壮なものではなく、二の糸~四の糸上で弾く音程が多いため、雰囲気は多少暗い。この冒頭の前奏によって、聞く人は高館山の館にいる義経の嘆きに心を添わせることができ、あとに続く物語の世界へと知らずして引き込まれるのである。ただ演奏にはかなり高度な技術を必要とするが、こうした音を柔らかく、ときにはくすんだ調子で弾くというのが作曲者の意図であったことは確かである。
義経の軍が膨大な数の敵軍に襲われる31行目から、場面は突如として転換する。とはいえ、戦いの場面はわずか10行で終わり、41行目から、「夏流し」をともなってふたたび静かな調子に戻る。ここで、義経は腹心の配下に、都を遠く離れた北国の地で命を終える定めを嘆き、別れの盃を交わすのである。そののち、負け戦を覚悟で、数ではかなわぬ敵へと勇敢に向かっていく。さまざまな技術を駆使して演奏されるこの場面もまたわずか20行で突如として遮られ、抒情的な「秋流し」が中断されることなく演奏される。
そして、ついに義経の忠臣、弁慶は雄々しい死を遂げ、義経も妻や子を手にかけた後自害する。最後の50行は、敵の手に落ちることなく名誉をかけて死んでいったの過去を振り返る憂鬱な調子に満ちている。