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都落ち

解説

寿永二(1183)年、木曽義仲は北陸方面で平家軍と戦って連勝し、そのまま西に進んで都を目指した。その勢いを恐れた平家は同年七月二十五日(西暦1183年8月14日)、都を捨てて西国に落ちる。
『平家物語』はこの時の平家諸将の悲話を数多く載せる。中でも有名なのが薩摩守忠度(1144-1184)の逸話である。忠度はかねてより藤原俊成(1114-1204)に和歌を学んでいた。この年二月、俊成に勅撰和歌集編纂の命が下る。戦乱によって編纂は中断していたが、戦後に再開されることを期待した忠度は、都落ちの際に自作の秀歌を俊成に託す。後に俊成はその中から一首を選び、『千載和歌集』に入集させた。しかし既に平家は朝敵とされていたため忠度の名を記すことができず、一首は「読み人知らず(作者不明)」として載せられたのである。
忠度と対面した俊成が別れを惜しむ場面は叙情的に描かれていて、広く知られる。だが『平家物語』諸本のうち四部合戦状本では、忠度が訪れても戦乱を恐れた俊成は門を開けず、やむなく忠度は歌を記した巻物を邸内に投げ入れる。これがおそらく逸話の元来の形であり、門を開けた俊成が忠度と対面するのは後の時代の創作であると考えられる。

参考文献

冨倉徳次郎『平家物語全注釈』 角川書店 1966~1968
長野甞一『平家物語の鑑賞と批評』 明治書院 1975
北川忠彦『軍記物語考』(三弥井選書) 三弥井書店 1989
梶原正昭・山下宏明校注『平家物語』(新日本古典文学大系) 岩波書店 1991~1993
市古貞次ほか校注『源平盛衰記』(中世の文学) 三弥井書店 1991~
市古貞次校注『平家物語2』(新編日本古典文学全集) 小学館 1994
高山利弘編『訓読四部合戦状本平家物語』 有精堂 1995
福田豊彦・関幸彦編『源平合戦事典』 吉川弘文館 2006
大津雄一ほか編『平家物語大事典』 東京書籍 2010

あらすじ

以仁王(もちひとおう)より驕り高ぶる平家を討伐せよとの命が下った。鎌倉や木曽に兵を挙げた源氏一族は、富士川の戦い、倶利伽羅峠の戦いにも勝ち、破竹の勢いで京を目指した。恐れおののいた平家は自ら館に火を放ち、都を捨てて西へと落ちて行くのであった。清盛の弟、薩摩守忠度は、闇にまぎれて都へ引き返し、和歌の師、藤原俊成卿の館を訪ねた。平和な世になれば勅撰集を編むという俊成に、世が鎮まったなら自分の名誉のために、一首だけでも選んでほしいと一巻の巻物を手渡し懇願した。俊成はそれを聞き、必ず願いを叶えようと約束した。忠度は喜び、これでもう、たとえ死んでも思い残すことはないと言って立ち去るのを俊成は涙ながらに見送った。『千載和歌集』に読み人知らずとして収められている「さざ波や志賀の都は荒れにしを昔ながらの山ざくらかな」は、実は忠度が詠んだものである。

『平忠度』(右田年英 画)

  • 詞章
  • 現代語訳
  1. 祇園精舎の鐘の声
  2. 諸行無常の ひびき あり
  3. 沙羅双樹の花の色
  4. 盛者必衰の ことわり を表す
  5. 九重の雲井にまがう花がすみ
  6. 京の都をわが世とぞ
  7. 栄華の美酒に れて
  8. 巫山 フザン の夢にうたゝ寝の
  9. オゴ る六波羅平家の一門
  10. 折しもあれや あかつき
  11. 枕をゆする トキ の声
  12. ライの如くに響くなり
  13. これぞ 右兵エ佐 うひょうえのすけ 源の 頼朝 よりとも
  14. 竜胆 りんどう の紋そめて
  15. かゝ ぐる 白旗 しらはた 星月 ほしづき
  16. 鎌倉山におし立てゝ
  17. 軍馬 イナナ き兵勇み
  18. 雪崩を打って攻め上る
  19. 富士川 べり 水鳥 みずどり
  20. 羽音に浮き立つ赤旗は
  21. 風に飛び散り影もなし
  22. くりから峠の火牛の計
  23. 北の まも りは ツイ え果て
  24. 木曽源氏の大軍は
  25. 潮をなして迫りよせ
  26. 逢坂山に こま を立つ
  27. かっては平氏に非ずんば
  28. 人に非ずと豪語せる
  29. 花の都の平家の 公達 キンダチ
  30. 今はたゞ ろく 波羅〔館〕に火を放ち
  31. 炎と花を背に浴びて
  32. 二度と帰らぬ死出の旅
  33. 都をすてゝ西海え
  34. 逃れ はし るも 運命 さだめ なり
  35. こゝに清盛公の御舎弟にて
  36. 薩摩の守 忠度 ただのり 公は
  37. 供の数騎をしたがへて
  1. 淀の川辺の 宵闇 よいやみ
  2. まぎれて都に引き返し
  3. ひそと おと ぬるその先は
  4. さん ふじ わら しゅん ぜい きょう
  5. 五条の やかた とおぼえたり
  6. 忠度公は 三位 さんみ まえ に歩みより
  7. 静まり そおら はば
  8. 勅撰歌集の 御定 ゴジョウ 下ると うけたまわ
  9. 我が生涯の 面目 めんもく
  10. 一首なりとも 先生 シノキミ
  11. 御恩を受くれば幸にて候と
  12. 鎧の引き合せより
  13. 巻物一つ取り出だし
  14. ササ ぐる に散る なみだ
  15. 三位の卿はそれをきゝ
  16. さるべき時の キタ りなば
  17. 必ず御意に ひ申すべしと
  18. 答へければ
  19. 忠度公はよろこびて
  20. 今は西海の波に沈まば沈め
  21. 山野に カバネ をさらすとも
  22. おも い置く事 さら になしと
  23. 西を指して すす みつゝ
  24. 前途は程 とお し思ひを
  25. 雁山 ガンサン ゆう べの くも にはす
  26. と口ずさめば 俊成 しゅんぜい 卿は
  27. 涙を なが して見送り給う
  28. さゞ波や志賀の みやこ は荒れにしを
  29. 昔ながらの山ざくらかな
  30. ウル はしき歌の道
  31. 身はたとへ滅びの道を あゆ むとも
  32. 歌に託する 武士 もののふ
  33. 心は志賀の ウミ に映え
  34. 遺せし人のゆかしさを
  35. 永久 トワ に伝へて香るらん
  36. 永久に伝へて香るらん
  • 1.-4.

    祇園精舎のその鐘は
    諸行無常と鳴り響く
    沙羅双樹の花の色
    人はかならず衰える
    世のことわりを教えてくれる

  • 5.-9.

    雲にも見える花ざかり
    京の都でわがもの顔
    酒に酔い女とたわむれ
    驕りたかぶる平家の一門

  • 10.-12.

    しかしその時夜が明けて
    眠りをさます鬨の声
    雷のように響きわたる

  • 13.-18.

    これこそ源頼朝が
    笹竜胆の紋を染め
    掲げた源氏の白旗を
    鎌倉山におし立てて
    馬はいななき人は勇み
    雪崩をうって攻めのぼる

  • 19.-26.

    富士川では水鳥の
    羽音におどろき浮き足立ち
    平家の赤旗あとかたもない
    くりから峠では火牛の計
    北に向かった平家軍を
    うち破った木曽軍は
    怒濤のように都に迫り
    逢坂山まで進んできた

  • 27.-34.

    平家でなければ人でない
    かつてはそうも言い切った
    平家の公達も今はただ
    六波羅やかたに火を放ち
    燃える炎に背を向けて
    二度と帰らぬ死出の旅
    都を捨てて西の海
    逃げてゆくのも運命か

  • 35.-42.

    清盛の弟で
    薩摩守忠度は
    数騎の供をしたがえて
    淀川べりまで出たものの
    闇にまぎれて都に戻り
    ひそかにたずねるその先は
    藤原俊成卿の
    五条館に違いない

  • 43.-48.

    忠度は俊成の前に進み
    「いくさが終わって世が静まれば
    勅撰集を編むように
    命じられると聞きました
    わたしの一生の名誉として
    一首だけでも先生に
    選んでもらえば幸せです」と

  • 49.-51.

    言って鎧のすき間から
    巻物一巻取り出して
    両手でささげ目に涙

  • 52.-55.

    俊成はそれを聞き
    「その時が来たならば
    必ず願いをかなえましょう」

  • 56.-59.

    忠度喜び「これでもう
    西の海に沈んでも
    野山にかばねをさらしても
    一つも思い残すことはない」

  • 60.-64.

    西に向かって進みながら
    「ゆく道はまだ遠い
    雁山にかかる夕方の雲
    それを見ながらもの思い」
    口ずさむのを俊成は
    涙ながらに見送った

  • 65.-66.

    大津の都は荒れ果てた
    しかし桜は昔のまま

  • 67.-73.

    歌はまことにすばらしい
    たとえその身は滅んでも
    歌に託した武士の心は
    琵琶湖の水に照りはえて
    残した人のゆかしさを
    いつまでも伝えるだろう

注釈

1. 祇園精舎の鐘の声…以下4.「盛者必衰の理を表す」まで『平家物語』冒頭の有名な一節。祇園精舎はインド舎衛国にあった寺。その無常堂の鐘は、病僧が臨終を迎えるとおのずと「諸行無常」と鳴り、それを聞いた病僧は苦悩を忘れて往生したという。2. 諸行無常…あらゆるものは必ず変化し、やがて滅びるという仏教の理。3. 沙羅双樹…樫に似た常緑樹。釈迦の入滅に際して枯れて白くなったことで知られる。4. 盛者必衰…盛んな者も必ず滅びる。5. 九重の雲井…多くの雲が重なっていること。また宮中の意。8. 巫山の夢…男女が情を交わすこと。9. 六波羅…京都の東方の地名。平家の邸宅が多く存した。11. 枕をゆする…安眠をむさぼっていた者を起こす意。13,1. 右兵エ佐…右兵衛佐。平治元年、源頼朝(1147-1199)は十三歳で右兵衛佐に叙せられた。13,2. 源の頼朝…源氏の棟梁。14. 笹竜胆…清和源氏の家紋とされる。15,1. 白旗…源氏の旗。15,2. 星月夜…「鎌倉」にかかる枕詞。19. 富士川…富士山麓を流れる川。治承四(1180)年十月の富士川の合戦で源平両軍が対峙したが、戦闘の始まる以前に多くの水鳥が突如羽音を立てたため、敵襲と勘違いした平家軍は逃げ出したと伝えられている。20. 赤旗…平家の旗。22,1. くりから峠…「倶利伽羅峠」とも。越中・加賀の国境砺波山を越える峠。現在の富山県小矢部市と石川県津幡町との境。寿永二年(1183)五月十一日、ここで木曽義仲軍と平家軍が戦い、木曽軍が大勝利をおさめた。22,2. 火牛の計…牛の角に松明を結びつけ、そこに火をつけて敵陣に駆け込ませ、敵を蹴散らす作戦。『源平盛衰記』では倶利伽羅峠の合戦で木曽軍がこの作戦により勝利を収めたと描かれる。但し他の『平家物語』諸本にはその記述がなく、『源平盛衰記』が独自に増補したものと見られている。24. 木曽源氏…木曽義仲の軍勢。26. 逢坂山…現在の滋賀県と京都府の県境にあった。27.-28. 平氏に非ずんば人に非ず…『平家物語』によれば、清盛の義弟に当たる平時忠が「此一門にあらざらむ人は皆人非人なるべし(平家の一門でない人は、人ではない)」と放言した。平家の驕りを象徴する句。36. 薩摩の守忠度公…平忠度。清盛の末弟。富士川の合戦や倶利伽羅峠の合戦などにも従軍した。寿永三(1184)年二月七日の一の谷の合戦で討ち死にした。38. 淀の川辺…忠度は一旦都を出てからまた引き返した。覚一本『平家物語』などには「いづくよりや帰られたりけん」としかないが、『源平盛衰記』に「淀の川尻まで下りたりけるが」とある。40. 訪(おと)ぬる…「訪(たず)ぬる」の誤りであろう。41. 三位藤原俊成卿…藤原俊成。当時を代表する歌人で、『千載和歌集』の編纂を命じられている。42. 五条の館…俊成の邸宅は五条京極に存した。45. 勅撰歌集…勅撰和歌集。天皇の命令により、その時代を代表する歌人が編纂する。特にすぐれた歌のみが選ばれたため、自分の歌が勅撰集に載ることは当時の歌人にとってこの上ない名誉であった。46. 生涯の面目…一生の名誉。48. 御恩を受くれば…俊成様に和歌を選んでいただければ。俊成のおかげで和歌が入集することを「御恩」と表現したもの。49. 鎧の引き合わせ…鎧の合わせ目。そこから懐中のものを出し入れする。53. さるべき時…しかるべき時。戦乱がおさまって俊成が勅撰和歌集を編纂する時。54. 御意に副ひ申すべし…お望みをかなえましょう。57. 今は西海の波に沈まば沈め…『平家物語』に「今は西海の浪の底に沈まば沈め、山野にかばねをさらさばさらせ、浮世に思ひ置く事候はず」。60. 西を指して…都を去った平家は西に向かい、福原に一宿したのち九州太宰府を目指した。61.-62. 前途は程遠し思ひを雁山の夕べの雲にはす…大江朝綱の詩の一節。『和漢朗詠集』所収。『平家物語』でも忠度はこの詩を口ずさみながら去る。「雁山」は中国山西省の山。65.-66. さゞ波や志賀の都は荒れにしを昔ながらの山ざくらかな…『千載和歌集』に載る忠度の和歌。但し上述のように「読み人知らず」とされている。70. 志賀の湖…琵琶湖。

源平古戦場 源平倶利伽羅合戦慰霊塔(富山県)

音楽ノート

作曲に当たって山崎旭萃師が本曲の詞章について抱いた印象は叙事的というより抒情的であるというものであった。そこで、師が歌に重点を置いて書いたのがこの曲である。最初の4行は有名な「祇園精舎」で始まる『平家物語』の冒頭部分であり、『平家物語』の精神が集約されたものである。驚いたことに、この4行を記譜法に書かれている通りに読めば、その音楽的構成は一般的な琵琶曲の始まり方に非常に近く、取り立てて変わった点はない。ただ熟練の奏者の演奏を注意深く聴くと、琵琶に精通した人のみが気づくような旋律の特別な扱いに気づくはずである。これが作曲者から口伝で伝えられてきた技なのである。
曲の四分の一ほどを占める始まってすぐの数行(10~18行目)には、通常戦いの場面に用いられる力強い「セメ」と呼ばれる攻撃の合いの手が3か所挿入されている。この弾奏を伴う語りの一節は、平家を二度と再び京の都に戻らせまいと攻撃する源氏の描写であるため、なくてはならないところである。

『藤原俊成』(菊池容斎 画)

残りの四分の三はもっぱら抒情的である。本曲はわずか73行という短いものであるが、筑前琵琶芸術の高みともいえる5つもの「流し」の型を見ることができる。そのいずれもが、通常の「流し」と同様3行以上にわたるものはないが、短いとはいえ、純粋に吟唱の美しさを際立たせている。
終盤に向かう61~62行目は漢詩の朗詠である詩吟の調子で歌われ、65~66行目の勅撰集に収められた忠度の和歌には非常に精緻に作り上げられた旋律がつけられている。この2行は本曲における吟唱のハイライトであるため、細心の注意を払って歌うべき箇所である。